15歳の天才を中心に世界が回った---宇多田ヒカルの衝撃 | ブロッコリーな日々

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アイドルマート下花店店長の落書き

15歳の天才を中心に世界が回った

---宇多田ヒカルの衝撃

平成10年12月、1枚のCDが発売された。

これまでの日本の歌謡曲にはない切なさをはらんだ歌詞と歌声。

その「Automatic」という曲を歌っているのが宇多田ヒカルであった。

 

注目度がよりUPしたのは、彼女がまだ15歳であることに加えて、あの演歌歌手・藤圭子の娘であることが世の中に知れ渡ってからである。

彼女を担当することになった音楽プロデューサー「松尾潔」は、初めて会った彼女に驚いたという。

 

松尾潔は、歌い方に気になる個所を見出し、直す方がよい、と提案する。

すると彼女は、「作曲家の権利があるだろう!」と、即座に言い返したそうだ。松尾潔は、その生意気な男の子のような言い回しに

思わず笑ってしまう。およそ15歳とは思えなかった。

 

なんという意識の高さ、やること、なすこと、すべてにおいて気が利いている。

東芝EMIのプロデューサーから「松尾さん、ちょっと聞いてみて」と渡されたデモテープ、それが「Automatic」であった。

聞いて、打ちのめされた。日本人なのに黒人音楽、R&B、洋楽っぽい雰囲気を色濃く持っている。

 

その瞬間、松尾潔は、プロジェクト・チームに加わることにした。

誰なんですか、本当に日本人ですか。その時点では、まだ藤圭子の娘だとは知らなかった。

それを聞いて彼は再び驚いた。

 

ドキュメント作家の「沢木耕太郎」が、「流星ひとつ」というエッセイを書いている。

若き日の「藤圭子」をビビッドに描いている。おきゃんで生き生きとした、そして紛れもない天才歌手として描かれていた。

それこそ、デビュー間もない宇多田ヒカルであった。

 

一世を風靡した「小室哲哉」は、宇多田ヒカルを聞いて、「ヒカルちゃんは、僕を終わらせた--」と云ったそうである。

「天才の大噴火に立ち会えた」それは松尾潔には素晴らしい体験だったという。

 

その藤圭子は、精神的に不具合を発症し、かつてデビューした新宿で転落死を遂げた。

それは、マンションからの孤独の身投げであった。