クリント・イーストウッドは、ここに完結した
---「父親たちの星条旗」の衝撃
2006年製作/アメリカ
原題:Flags of Our Fathers
配給:ワーナー・ブラザース映画
監督:クリント・イーストウッド
出演:ライアン・フィリップ、アダム・ビーチ
太平洋戦争最大の激戦だったといわれる硫黄島の戦いを日米双方の視点から描いた。
硫黄島の擂鉢山に星条旗を打ち立てた6人の兵士の写真の真実と、戦場から生き残り米本土に帰還した3人のその後の人生を描く。
硫黄島に上陸した米軍は、壮絶な戦闘が続くなか、摺鉢山の頂上に星条旗を立てる。
上陸地点を見下ろすその位置に掲げられた星条旗は、米軍兵士たちを鼓舞し士気を高めた。
電話線を引くために作業していた海兵隊兵士アイラ・ヘイズ(アダム・ビーチ)ら4人に衛生兵ドク・ブラッドリー(ライアン・フィリップ)、
旗を持って行ったレイニーの6人が星条旗を再び摺鉢山に掲げるのだ。
ところが、その瞬間を撮った写真が全米のメディアを賑わし、厭戦気分に冒されつつあった国民にも希望を与えたのでった。
そして、6人のうち生き残ったレイニー、アイラ、ドクの3人は米国本土に戻されて「英雄」に祭り上げられるのだ。。
この作品に描き出される若者3人は、戦争に翻弄され、政治に翻弄され、メディアに翻弄されていく。
端的にいえば「国家」に翻弄される脆弱な「国民」の姿を示している。
それはマックス・ウェーバーの「国家とは、ある一定の領域の内部で、正当な物理的暴力行使の独占を要求する人間共同体である」という警句そのままなのだ。
国民は、否応なく「戦争」に巻き込まれ、生還してなお国家のソフトな暴力の行使としての「陰謀」に加担させられる。
監督は、戦争の勝利も、癒されることのないトラウマや傷を若者たちに刻みつけるのだ、というメッセージを送っている。
当然だが、映画の戦闘シーンは、凄まじい迫力だ。
米兵が銃弾に倒れ、倒れた兵士の亡骸が波打ち際に漂う様は、戦争の非情さを余すことなく伝える。
日本兵は、ただただ目に見えぬ敵として「恐怖」の存在として表現されている。
また、英雄に祭り上げられた三者三様の処世が丹念に描き分けられているのも要注目だ。
とりわけネイティブ・アメリカンのアイラへの差別的なエピソードを随所に配している点は本作を重層的なものにしている。
ドク・ブラッドリーが年老いて、病に倒れるシーンが冒頭におかれ、その息子が関係者に話を聞いていく、というフレームで話は進んでいくのですが、フラッシュバックによって時制が行きつ戻りつする手の込んだ構成が、本作を一層彫りの深いものにしていると思います。登場人物たちの苦難や葛藤が、時を超えて、生涯をとおして抱え込まれていたものであることを強く訴えかけてくるのです。
ラストシーンでは、摺鉢山にはためく星条旗が映し出される。
それは、迫力ある戦闘シーンを見せられたあとでは、米国の栄光と誇りの象徴という単純な意味には収束できない。
その旗は、国家というものが宿命的に背負わねばならない暴力性や老獪さをも同時に表象するものである。
米国の資本で作られた映画において、かくも多義的な意味内容が込められて映し出された星条旗は、かつてなかったと思う。
本作は、日本の立場から撮られた『硫黄島からの手紙』とワンセットになっている。
日米双方の視点から硫黄島の戦闘を描いたという「公平」ぶりが映画ファンのあいだで話題になった。
だが、この一本だけでも充分完結した優れた作品である。クリント・イーストウッドは、ここに完結した。
見逃した人には激しくおススメ。