大国の横暴を知る---1972年公開「戒厳令」の衝撃 | ブロッコリーな日々

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大国の横暴を知る

---1972年公開「戒厳令」の衝撃

1973年製作/フランス・イタリア合作
原題:Etat De Siege

製作、監督:ジャック・ペラン、コスタ・ガブラス

出演:イヴ・モンタン、レナート・サルヴァトーリ

 

舞台は、1970年8月、南米ウルグアイ、モンテビデオは黒い霧に包まれていた。

緊迫した政治情勢下にある月曜日の朝、イタリア系アメリカ人フィリップ・マイケル・サントール(Y・モンタン)ブラジル領事ロベルト・カンポスが、都市ゲリラの革命グループ“ツパマロス”に誘拐され、街の一角にある地下本部に連れ去られた。

 

この国際的誘拐事件は、ジャーナリズムで異常な反響を呼び起こした。

進歩的な新聞社を主宰するカルロス・デュカス(O・L・ハッセ)は、曖昧な答えしかしない政府側に疑問を感じ、単独で調査に乗り出す。

 

フィリップ・マイケル・サントールは、国際開発機関の交通・通信部担当技師ということで警察に籍をおいていたが、事実は違っていた。

彼は、アメリカ国家の命により、ウルグアイ政府と手を結んで進歩的左翼勢力を弾圧する目的でこの国にやってきたのだ。

彼は、ワシントンの国家警察の教官であり、既に数多くの左翼グループ弾圧のメンバーを育成していた。

ウルグアイの政府内部でも、ロペス大尉(R・サルバトーリ)とロメロ大尉の二人が彼の教育を受けていた。

サントールの正体を知り、さらにブラジルその他の中南米諸国を廻り、左翼グループ抹殺を遂行してきたことを知ったカルロスは、ただ愕然とするしかなかった。

 

月曜日の夕方、政府は全市に厳重なる“戒厳令”を発令し、特殊軍事警察指令部のロペス大尉をその隊長に任命した。

1日おいた水曜日、“ツパマロス”は、捕われの同志と二人を交換する条件をうち出したが、政府はこれを拒絶した。

 

街では軍隊の一般の人々に対する拷問や殺戮が続き、議会でも野党によって政府への批判が行なわれた。

その頃、カルロスはさらに大きな事実をさぐりあてた。

 

それは、特殊軍事警察とは名ばかりで、実は裏では“死の中隊”と呼ばれ、暗殺、スパイ活動、拷問を行う秘密組織であり、ロペスらはサントールの指揮下で秘密裡に暗殺団を結成し革命勢力を撲滅すべく、魔の手を伸ばしている、ということだった。

 

凍るような寒さの金曜日、“ツパマロス”は、二人の正体を暴露した。

だが、事実を知った国民の批判をよそに、大統領は“正義と権力を守る”とくり返すだけだった。

 

土曜日、“死の中隊”によって“ツパマロス”の連絡所が発見され、革命グループの闘士たちは次々に射殺された。

“ツパマロス”の幹部闘士は、二十四時間以内に捕えられた多くの政治犯を釈放しなければ、サントールを処刑すると通告したが、政府は同じ言葉をくり返すだけだった。

 

サントールの処刑は決定した。

数時間後、胸部に二発の銃弾を受けたサントールの死体が盗難車の中から発見された。

そして、サントールの国家葬儀が、何事もなかったように整然と行われている。

 

政府はサントールの後任者を迎える準備に余念がない。美しいモンテビデオ空港に降り立つ第二のサントール。

だが、既にそのことを知っていた“ツパマロス”の闘士たちの眼が光っていた。

 

彼らの胸の中には、まだ続く自由への解放と闘争への息吹きが静かに波打っていた。

戦いはいつ終わるともしれず果てしなく続くのだ。。

 

この作品の監督がしきりに強調しているのは アメリカの傲慢さである。

地球上のどんな国にでも支配権を持ちたがり、“北の脅威”をやたらに煽る。


「ウルグァイ」の歴史的背景、その後の歴史まで知らないと、この映画は理解できない。
戦後の日本人は、水と安全はタダぐらいに思っている。すべての平和は流血で贖われるものだ。


ちなみに「ウルグァイ」は、1930年サッカー・ワールドカップで、記念すべき第1回目の優勝国である。

正義を振りかざす大国の横暴と、それを容認できない市民の対立を知りたい向きには、是非ともおススメ。