乗用車なのに5000ccエンジン搭載
---歌姫「松田聖子」の奇跡
「松田聖子の研究・考察」
他のアイドルと比べても、デビュー当時の彼女の容姿は確かに愛らしい。
だが、それだけではなかった。それが秀でた歌唱力だ。
では、先に発表された著書を援用して、考察を進めたい。
今にして思えば当然なのだが、デビューアルバムは歌謡曲アイドルとしては異例の54万枚も売れたのだ。
その歌声はケタ外れの価値を持つ。その秘密が以下の文章である。
そのあと2枚目のシングルでは、初の大ヒット曲となったのが『青い珊瑚礁』である。
この歌を初めて聴いたスタッフから喝采が巻き起こったのだ。
「すごいよ、この歌で大ヒットは間違いなしだ!まるでビートルズの『プリーズ・プリーズ・ミー』みたいだ」
高音のサビ始まりという新人歌手には高いハードルであったが、驚くべきことに松田聖子は難なく歌いこなしたという。
聖子を発掘したCBS・ソニーの若松宗雄ディレクターは、「ミス・セブンティーンコンテスト」九州大会で歌声を聴いた衝撃をこう表現する。
「夏の終わりの嵐が過ぎたあと、どこまでも突き抜けた晴れやかな青空を見た時のような衝撃だった」と。
恐るべき伸びやかな高音域の広がりであった。
若松宗雄は、何としても聖子を世に出したいと、2年がかりで奔走する。
そしてデビューが決まると、従来の歌謡曲畑ではない作家をこれでもかと投入した。狙いは的中する。
デビューから3作のシングルを作曲したのは、洋楽エッセンスにあふれる新進の小田裕一郎(故人)だった。
小田裕一郎は歌唱レッスンをつけながら、聖子の特性をさらに引き出した。
「高音部が豊かな声量できちんと出るのはもちろん、低音部の発声もすばらしかった」
さらに「低いパートって、ともすれば宝塚歌劇のような仰々しい歌い方になったりするけど、彼女はハスキーで魅力的な声が出た」という。
その声質を生かすために、小田裕一郎はバイオリンにおける「スラー」の手法を取り入れた。
これは、「音符を弧でくくり、音と音をなめらかにつなげる。ひとつひとつの音に対し、両側からすべらせながら歌うという感覚。これができることによって、たとえば『せいよ』って歌詞が『SAY YO』と洋楽的に聴こえる効果をもたらした」のであった。
店長の私が、松田聖子は声楽の天才だと考える根拠の一つである。
店長の私は、声楽の専門家ではない。
松田聖子をアイドル歌手として、その側面のみを応援してきた。彼女が類まれな肺活量を持った音域の広い歌手だという認識は当時から持っていた。明らかに同世代のアイドルとは一線を画していた。
「娘をアイドルとして同列にしないで欲しい」と訴えていたのは、彼女の母親である。
母親は、法子(松田聖子)が、類まれなポテンシャルを秘めていると感じていたのだろう。
後に女子マラソンで「高橋尚子」というスーパースターが現れたが、彼女を育成した名伯楽の小出義雄コーチは、
「尚子は、軽自動車でありながら3000ccエンジンを搭載している」と評したことがある。言い得て妙だ。
店長は、何かの音楽祭で松田聖子を顕彰できないものかと考えている。