海外で高い評価、なぜ時代考証しなかった?
---時代劇復権の名作「たそがれ清兵衛」への憂鬱
平成十四年度文化庁映画芸術振興事業作品
2002年製作/監督:山田洋次
「ストーリー」
幕末、庄内・海坂藩の下級藩士・井口清兵衛。
彼は、妻に先立たれた後、幼いふたりの娘と年老いた母の世話、そして借金返済の内職の為に、御蔵役の勤めを終えるとすぐに帰宅することから、仲間から”たそがれ清兵衛“とあだ名されていた。
ある日、かつて想いを寄せていた幼なじみで、酒乱の夫・甲田に離縁された朋江の危難を救ったことから、剣の腕が立つことを知られた彼は、藩命により上意討ちの手に選ばれてしまう。
秘めていた想いを朋江に打ち明け、一刀流の剣客・余吾の屋敷を訪れた清兵衛は、壮絶な戦いの末に元・重臣余吾善右衛門を倒す。
その後、朋江と再婚した清兵衛。
そして、明治維新。
幸せも束の間、彼は戊辰戦争で命を落とすのだった。。
ところで、家老の命令で元重臣・余吾善右衛門と果し合いに臨んだ井口清兵衛だったが、この「上意討ち」の描写には、明らかに間違いがある。原作にも不手際があるせいだと思うが、この作品では、時代考証が何一つ為されていないのだ。
たとえば、森鴎外の「阿部一族」も上意討ちをテーマとする物語だが、こちらは考証がしっかりしている。
そもそも「上意討ち」にたった一人で乗り込むことなどあり得ない。
これは失敗など許されない藩の大事業なのである。しかも逃がさないように見張りも立てなければいけないのだ。
そうすると、足軽も含めた一小隊を組織するのが普通である。
さらに決定的なミスを指摘する。
この上意討ちが行われたのは、幕末ということになっている。
藩のモデルは、庄内藩17万石である。明治維新では官軍と戦い、主人公の井口清兵衛は戦死している。
だが幕末の騒乱期において、上意討ちが起きたという記録はほとんど残されていない。
藩の存亡が試されているときである。そんな時に、牧歌的なのんきな話があるはずもないだろう。。
店長の私は、時代考証ぐらい、本気でやって欲しいと思う。