女優の名前は「荻野目慶子」という。
1990年4月に衝撃的な事件が発覚した。
河合 義隆(かわい よしたか、1947年1月18日 - 1990年4月30日)は、新潟県上越市出身の映画監督・演出家。
彼は、不倫関係にあった女優・荻野目慶子の自宅マンションで首吊り自殺をした。
ざっと彼の経歴をみてみよう。
1965年、フジテレビジョン フジテレビに入社。
若くしてディレクターに抜擢された後はドラマ制作に活躍。
その後、独立し制作会社「ティンダー・ボックス」を設立した。
1985年、東京放送 TBSのドラマ『幕末青春グラフィティ 福沢諭吉』の演出に携わった際、当時20歳の女優・荻野目慶子と知り合い、熱心な演技指導を続けているうちに交際が始まった。
だが、当時の河合には、妻と長男がいたのだ。
そして、1986年、武田鉄矢主演の映画『幕末青春グラフィティ Ronin 坂本竜馬』で映画監督デビューを成し遂げる。
この映画は福山市で撮影されたので、店長はさっそく映画館まで出かけたことがある。
その映画監督こそ、魔性の女に魅入られた河合義隆であった。
荻野目慶子との出会いがなければ、家庭を壊すこともなく、さらにすばらしい作品を残したことだろう。
荻野目慶子は女優としては小柄で、店長からみて、それほどインパクトを感じなかった。
おそらく、映画監督の目線は違うのだろう。
画像は、深作欣二監督
そして、河合義隆が自ら死を選んだあと、巨匠深作欣二もまた魔女に魅入られてしまうのだ。
深作欣二は、がん治療よりも美魔女との情事を優先させてしまう。そして、挙句の果て、己の寿命を縮めてしまった。
いったい、小柄な荻野目慶子のどこに、男二人を狂わせる魔性の魅力が潜んでいるというのだろう。不思議だ。
店長も二人の映画監督のように、魔性の女と知り合いたいと切に思うのだ。
でも、一般人の身では、考えるのも空しい。。