究極のコスプレ自殺
---セスナを操縦して児玉邸に激突
「画像は激突したセスナと同型機」
大物右翼のフィクサーと呼ばれていた「児玉誉士夫(当時65歳)」は、米国の航空機メーカーのロッキード社の秘密代理人として暗躍していた。
そして、全日本空輸にロッキードの旅客機を購入させるために政治工作をした。そのため、事件の中心人物と目され、国会で証人喚問が予定されていた。だが、彼は直前に病気を理由に出席を取りやめていた。なお、児玉誉士夫は、脱税などにより起訴されていた。
ところが、世田谷区等々力にあった児玉邸に1976年3月23日午前9時50分頃、PA-28-140型機が突入し爆発炎上した。
この火災で児玉邸の2階一部が類焼し、家政婦が負傷したが、別室で就寝していた児玉本人は無事だった。
突入したのは東京都の調布飛行場を離陸した2機の内の1機で、直前まで機長とカメラマンら3人が搭乗したセスナ172M型機と編隊飛行をしており、新宿上空でJA3551機の写真撮影を行っていた。
その撮影を終えた帰途に突入したものであった。この機体の残骸から操縦士の遺体が発見されたが、航空事故ではなく覚悟の"特攻"という自爆テロ行為であった。
彼が右翼の大物とされる児玉を狙ったのは、彼が左翼思想を持っていたからではない。
彼は70年11月に市ヶ谷駐屯地で自害した「三島由紀夫」に心酔しており、普段から「俺はサムライだ。三島こそサムライ」と周囲に語っていたそうだ。
また親しい友人には「飛行機で児玉の家に突っ込んだら面白いだろうな」と漏らしており、実際に車で児玉邸を見に行ったりした。
彼は、1975年2月25日、陸上単発機の免許を取得する。
そして、1976年2月、前野は新潟県のスキー場で離婚を苦に服毒自殺を図っている。
警察の事情聴取に対して、「自分でシナリオを書くために、死を体験する必要があった」と供述した。
「児玉はけしからん。そのうち俺が成敗してやる」
3月13日、児玉氏はロッキード事件で資金を受け取ったとされ、起訴された。前野はそんな児玉を許すことはできなかった。児玉について「利権屋」と断じている。
そして、3月23日に前野は前日に日活の衣装部屋から持ち出した"神風特攻隊"の制服を着て、「七生報国」と書かれたハチマキを巻いて、調布飛行場に姿を現した。飛び立つ前には乗りこみ口でポーズを決めて記念撮影も行なっている。
セスナ機は東に向かい、等々力の児玉邸上空を低空で旋廻した後、そのまま突撃した。その時、彼は無線機に向かって、次のように叫んでいる。
「天皇陛下バンザーイ!」
この事件は海外で「最後のカミカゼ」と報じられたりしたが、国内では特に大きな波紋を残すことはなかった。