10分の1秒に賭けた壮絶な決意---ベルリン五輪「前畑秀子」に輝いた栄冠 | ブロッコリーな日々

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アイドルマート下花店店長の落書き

記憶にとどめて欲しい。

ベルリン五輪「前畑秀子」に輝いた栄冠

1936(昭和11)年の「ベルリンオリンピック」で日本人女性として初の金メダルを獲得した。

それが橋本市出身の前畑秀子であった。

 

オリンピックのラジオ実況中継が初めて行われたことと、「前畑ガンバレ!ガンバレ!」を23回、「勝った!勝った!前畑勝った!」を12回連呼したのは、NHKの河西三省である。

 

この快挙には、日本中が歓喜と興奮に包まれたのだ。

彼女は、4年前のロサンゼルス五輪で銀メダルを獲得していた。

 

そして、そのロス五輪祝賀会で、当時の東京市長「永田秀次郎」に次のベルリンでは必ず金メダルを取って欲しいと激励され、現役続行を強く要望された。

 

それからの4年間は血のにじむほどの努力を続けたのだ。

毎日、夜中の12時を越えるまで距離にして2万メートル近く泳いだ。

 

ドイツの「マルタ・ゲンネル」に0.6秒先着した。そして悲願の金メダル獲得。

ほとんどの日本人は、ラジオ中継に耳をそばだて、歓喜に沸いたのであった。

 

レース後の取材に答えた彼女は、こう答えている。

『優勝できなかったら、帰りの船から飛び込んで死ぬしかない。

しかし、私は泳げる--どうすべきか』

 

すべてのアスリートにはドラマがある。それを忘れるべきではない、と店長は思う。