松本麗華が苦しむ"アーチャリー"の呪縛
彼女は、後継団体「アレフ」と距離をおいていた。
もう金輪際、教団と関りを持たない、と考えていた。
ところが、オウム元幹部たちは、彼女を最大限に利用しようと考えていた。
特に暗躍したのが「上祐史浩」だった。
上祐は、断りもなく「アーチャリー」の名前を出すのだ。
彼は、麻原彰晃の代理として三女を「アレフ」のシンボルにするつもりだった。
それは、社会復帰を求めて苦悩する彼女には迷惑この上ない話であった。
サリン事件を引き起こす前では、麻原彰晃は三女「アーチャリー」を後継者にすると考えていたようだ。
世間では、彼女の作られたイメージが拡がっていた。成長した今では、自分だとは思えなかった。
まだ幼かったころ、報道陣に向かって「アカンベー」をやった。離れていたので写されないと思った。
そのとき、望遠レンズというものを知らなかったのだ。
その無邪気な「アカンベー」は週刊誌に掲載され、いまでも彼女を苦しめている。
オウム真理教が解散させられて、彼女は、一般社会に放り出された。
高校卒業資格を取得するため、懸命に勉強した。
バイトにも精を出した。ところが--
当然身分を隠していたのだが、それがバレてしまい、クビになった。
また、大学に入ろうとしても拒否されてしまう。
彼女は絶望した。自殺も考えるようになった。
父親の死刑が確定して接見もできなくなった。
まだ、彼女は「父の冤罪」を信じていた。
あるいは"霊的な超能力"を発揮して解放されて還ってくると信じていた。
松本麗華は、死刑確定前に、父親に接見した。自叙伝「止まった時計」に詳しい。
世間には麻原彰晃は「詐病」であり、責任能力あり、とされてきた。
ところが、彼女が接見しても、本当に自分の正体がわからなくなっていたのだ。
彼女は、「詐病なら私にこっそり合図を送るはず」と考えて、耳元で大声を出して見たり、いろいろやってみた。
麻原は、まったく反応しなかった。まばたきさえしなかったという。
そして、だまし討ちのような形で死刑が確定したのだ。
彼女は、麻原の治療を申請した。だが、ムダであった。
麻原彰晃が、眠っていた"世間への復讐意欲”に目覚めたのは、「村井秀夫」と出会ったからだ。
店長は、「村井秀夫」は「革命的共産主義者」だったのではないかと睨んでいる。
サリン事件も、彼はその謀議では強硬意見を出している。麻原彰晃は、村井にサリン計画を出させた。
「井上嘉浩」は、サリンは危険すぎる、せめて硫酸にしたいと意見したそうだ。
だが、村井はサリンじゃなければだめだと押し切ったそうだ。
この時期、オウムのテロ計画は、「村井秀夫」に委ねられていたと云えるのだ。
彼は、尊師を忖度したように「これは尊師の意見だ」とよく幹部に切り出したらしい。
おそらく、麻原は、「村井秀夫」に責任を押し付ければ、自分の身は安全だと思っていた節がある。
麻原彰晃の三女を含め、彼女の姉妹たちは、村井が殺された時、3日3晩悲嘆にくれたそうだ。
姉妹たちには、勉強も教えてくれるよきお兄ちゃんであったのだ。
松本麗華は、今日も問いかける。
「私は、どうして麻原彰晃の子供としてうまれたのだろう」と。