神懸かった勢いに乗った
天才「小室哲哉」の罪と罰
彼の"楽曲バブル"が弾けたのは、まだ記憶に新しい。
プロデューサー「つんく」が"モーニング娘。"を立ち上げたころだった。
その頃から小室サウンドに陰りが見え始めた。
やがて、グループアイドルが全盛期を迎えるのだ。
平家物語に云う、奢れるものは久しからずや、と。
小室哲哉が、華原朋美との交際を公然と明かしていた頃、彼は天下を取ったように云い放った。
曰く、『アーティストに手を付けたのではない。恋人に曲を書いてデビューさせたんだ』
師匠に捨てられても、華原朋美の人気はすぐには落ちなかった。
だが、彼女の心は決して健やかではなかった。1999年1月、彼女は自宅でガス中毒で倒れて緊急搬送された。
そして入院するのだ。小室哲哉との破局が報じられたのもその時だ。
彼の全盛期の収入をご存知だろうか。
1996年ごろは小室哲哉の絶頂期で、高額税者番付全国4位で推定所得20億円。
続く97年も同様に番付全国4位で推定所得25億円だった。
ところが、「祇園精舎の鐘の音は諸行無常の響きがある」彼とて例外ではなかった。
海外での投資はすべて裏目に出た。多額の不良資産と化し、彼の資産は暴落するのだ。
そこで苦し紛れに打った手が投資詐欺だった。
「資産100億円の男が5億円の詐欺容疑で逮捕!」という戦慄の見出しが全国を駆け巡ったのだ。
彼は、100億円超の預金をわずか10年で使い果たす。
2002年に離婚した吉田麻美への慰謝料は、驚くなかれ推定7億円であった。
当時、彼には約2億円の印税(著作権使用料)収入があったが、慰謝料が支払えなくなったため、
不幸にして、それが差し押さえとなるのだ。
結局、小室哲哉に入る印税収入は、年間1億円に半減する。
彼は、別荘や株、高級外車、クルーザーを次々と売却した。
アーティストでも歌手でもない凡人にはもう理解もできない。
もう"小室ファミリー"も死語となってしまった。
「祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、 盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひにはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。」
小室哲哉は、華原朋美を「幸せ」にしておけば、彼のバブル崩壊はなかったかもしれない。
ただ春の夜の夢のごとし。。彼は、音楽シーンから立ち去って行った--