愛人に殺害される転落人生---「佐々木つとむ」の男の本懐 | ブロッコリーな日々

ブロッコリーな日々

アイドルマート下花店店長の落書き

1947年7月23日、「佐々木つとむ」は兵庫県神戸市に生まれる。
彼は、幼少の頃からテレビに出ている人のモノマネを演じては、周囲の人を笑わせていた。

高校時代から素人で演芸番組に出演をするようになった。

そして、先輩芸人たちにその話術やモノマネの芸を認められるのだ。

やがて浅草松竹演芸場の司会をやってみないかと先輩に誘われる。

 

彼は、高校を中退し芸能の世界に飛び込んでいく。

モノマネの才能を生かし、演芸の前説を披露するとそれが大人気であった。

「コロッケ」や「モト冬樹」らより先に、はたけんじ、団しん也、堺すすむ、そして”佐々木つとむ”は「モノマネ四天王」と呼ばれていた。

そして、1974年には放送演芸大賞部門賞を受賞し、レコードによる歌も出しており、モノマネ芸人の中ではトップクラスの生活をしていた。

売れっ子になって彼はどうなったか。
当時の芸人にとって「遊び」は必要不可欠な要素という考えがあり、ギャンブル、女遊びに浪費癖も悪く、稼いだお金を全部つぎ込んでしまうほど豪遊する毎日だった。

 

だが、幸運もそこまで。”ものまねブーム”は去り、仕事が激減する。

ところが、彼は借金してまで豪遊生活を続けていく。おそらく、彼は弱い人間だったのだろう。
 

完全に仕事がなくなった「佐々木つとむ」だが、嫁と子供がいた。

借金取りが家にまでくるので、家庭内でもめるようになり、妻と子供は家出した。

 

そして、そんな折りに知り合ったのが、後に彼を刺殺することになる「中野美沙」であった。
その「中野美沙」は、「佐々木つとむ」に献身的に尽くすのである。


中野美沙は、ほかに暴力団関係3人の愛人関係を結んで、愛人契約として生活費を貰っていた。

彼女は『佐々木つとむとなら自分の人生をやり直せるかもしれない』」と考えたようだ。

いつか結婚し、彼との子供をもうけ、幸せな家庭を為したいと願うようになっていた。

しかし、ヒモ生活に味を占めた佐々木つとむのギャンブル狂は日増しに強くなっていく。
彼女が愛人契約で稼いでくるお金を無断で銀行からおろし、そのお金をもってギャンブルにのめり込む日々が続くのだ。


中野美沙は「いつか変わってくれる」と信じていたが、酒に溺れ暴力まで振るわれるようになり、愛想をつかし始める。
「佐々木つとむ」と同じように、「中野美沙」も深くて暗い心の闇を抱えていたのだろう。


そして1987年9月4日、運命の歯車が回転した。
いつものように酔っ払って帰宅した「佐々木つとむ」は、中野美沙が大切にしていたペットの犬を蹴っ飛ばしたのだ。

犬は骨折した。これに「中野美沙」は、感情を爆発させたのである。

「中野美沙」は、佐々木つとむをメッタ刺しにして逃亡する。
佐々木つとむの事務所が連絡が取れなくなったことにより捜索し、事件が発覚する。

殺された彼には布団が被せられ、テーブルの上に中野美沙の字で「あの世でふたりでやり直そう」とメモがあったそうだ。

 

この殺害は、「佐々木つとむ」の自業自得のように思える。

おそらく酒やギャンブルに身を持ち崩すような男だったのだろう。

彼にとって、愛人から三行半ならぬ刃物を突き付けられる結末は、男子の本懐であったと思えるのだが--