新人「原田美枝子」初出演「青春の殺人者」---千葉・市原の両親殺害事件 | ブロッコリーな日々

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アイドルマート下花店店長の落書き

この殺人事件から2年後、1976年に「青春の殺人者」は封切られた。

たちまち評判となり、キネマ旬報ベストテン第一位にランクされている。

長谷川和彦監督の記念すべき第1回作品である。

 

現在では日本映画の名作の一つに数えられる。

主演には「水谷豊」を起用した。

そして、脇を固めたのは新人「原田美枝子」であった。

 

封切られたときには、法廷で犯人は「冤罪」を主張していた。

交際中(少なくとも彼自身はそう思っていた)の女性との結婚を反対されたのが殺害の動機という。

 

両親は、息子が風俗嬢と付き合っているらしい、と不快感を持っていた。

今では何でもないことかもしれないが、事件が起きたのは昭和49年である。

 

犯人の長男は23歳で、「水谷豊」と同い年であった。

昭和49年といえば「高度経済成長」が終わりを告げた年である。

 

1審判決がようやく下されたのが10年後である。

だが、2年後に映画「青春の殺人者」とされ、息子は冤罪を訴えていた.

 

そんなことにはお構いなく、この息子は「青春の殺人者」にされてしまった。

 

新人「原田美枝子」は、今では想像もできないが、当時はとても魅力的だった。

演技力は抜群で「大竹しのぶ」と比べても遜色はなかったと思う。