原爆といえば、日本ではどのように受け止められていますでしょうか。
広島と長崎に投下され、おびただしい数の民間人を殺傷した、
非人道的な兵器です。
しかし、アメリカでは、日本への原爆の投下は、
「戦争の終結を早めた」として、英雄的に扱われています。
私がこのエピソードからお伝えしたいのは、
何が正しいか、ということではなく、
歴史の解釈というのは一通りではなく、
「絶対にこれが正しい」という歴史解釈などない、ということです。
立場が変われば、歴史は変わる。
敢えて言うなら、それが捏造でない限り、
どちらからの歴史も「双方が正しい」と言えるのだと思います。
※
近年、日本が世界と戦争をした第二次世界大戦、
中でも、アメリカや西洋列強と戦った太平洋戦争のことを
正当化する人の意見が目立つようになりました。
そもそも、太平洋戦争という言い方は戦後、GHQによって決められた呼び方であって、
当時、日本政府はこの戦争を「大東亜戦争」としていました。
そして、戦争する理由は、
「アジアを、植民地支配する西洋列強から解放する」ということでした。
現実に、戦争が終結した後、戦地に残って
その国の独立戦争に参加した日本兵も存在しましたし、
第二次大戦の後、西欧列強は次々と植民地を手放し、
アジア各国は独立していきました。
アジアには実際に、「日本が解放してくれた」と感謝を述べる人も多数います。
それをして、「日本がアジアを解放したんだ。」
「日本はあの戦争を恥ずべきではない。」
「あの戦争は正しかったのだ。」
「日本は自信取り戻すべきだ」と語る人が、とても増えています。
※
「自虐史観」というのがあります。
それは戦後、GHQが日本の教育に強いた洗脳教育で、
あの戦争はまちがっていた、あの戦争は日本が悪かったのだ、
ということを殊更に反省する教育であって、
そのせいで戦後の日本は骨抜きになってしまった、という人がいます。
先述の人と、自虐史観を捨てよ、という人は、
だいたい同じと考えていいと思います。
私はどう考えているか、というと、
今の時代に、ことさら「日本は悪くなかった、自信を取り戻せ」と言う人が増えたのは、
日本が弱っている証拠である、ということ。
もうひとつとても危惧するのは、
そのような人々の共通の考え方として、
「日本はわざわざやってやったんだ」という言い方になって、
反日感情のある中国や韓国に対して、憎悪の感情を持っているのですね。
けれど、私は、日本の精神性の素晴らしい部分があるとしたら、
それは「相対的ではなく、絶対的な価値、本質を見ようとする精神」
だと思っているので、
「韓国は日本に感謝すべきだ」などと言っている根性そのものが、
日本人の本来のそれではないと思っています。
※
非常に狭い議論をしているな、と感じているのは、
「先の大戦を肯定する人は、天皇国・日本に賛成」
「先の戦争に反対の人は、自虐史観」という
二元論しかないところなのですよね。
先の戦争について、自分の考えを整理したいので、
記述してみます。
まず、あの戦争を防げたのか?というと、
それは難しかったと思っています。
なぜなら、ときは帝国主義の時代であり、
武力による植民地支配が普通に行われていた時代だからです。
日本が何もしなければ、日本が西欧列強の植民地にされた可能性も否定できず、
日本は、なんらかの形で抵抗しなければいけなかったのも事実でしょう。
では、日本はどんな抵抗の仕方をしたのか。
そこで、明治政府は、
日本古来からある文化以外を否定する「国学」という考えに基づき、
日本を天皇を神と崇める宗教国家としてまとめる、
という方法をとりました。
それ以前までの日本は、そんな国ではなかった、ということを
よく理解してくださいね。
天皇制は、国をまとめる必要があった明治政府に、
道具として利用されたのです。
教育勅語も、国民に子供の頃から皇国観を植え付けるための
洗脳の道具でした。
日本はこうして天皇陛下万歳というイデオロギーを持った国として
ひとつにまとまっていったわけですね。
そして、欧米列強に対して、「お国のために死んでこい」という戦い方をしました。
果たして、この方法は正しかったのか。
戦い方は、これしかなかったのか。
そこが問題です。
※
ときは帝国主義の時代でした。
だから、日本が中国に植民地を作りたいと考えたとしても、
まったく不思議な時代ではなかったのです。
そもそも、「大日本帝国」と名乗っていたのですから。
韓国併合も同じことです。
日本は支配される国ではなく、支配する国側の一員になるために、
急いで産業を発達させ、国を整え、軍備を増強しました。
日清・日露戦争に勝ち、にわかに国際社会で目立ったポジションになった
極東の島国・日本は、中国に侵攻しました。
中国は西欧各国が取り合いを演じていた場所だったため、
そこに手を出した日本に対して、強い拒否反応が起きました。
アメリカ・イギリス・中国・オランダによる経済制裁、
いわゆる「ABCD包囲網」に取り巻かれた日本は石油を失い、
軍を動かすための石油を求めて、
当時の産油国であったインドネシアを目指します。
そこは、西欧列強によって支配された植民地でした。
だから、必然的に、日本は西欧列強と戦うことになりました。
帝国主義の時代。強い国が武力で領土を取り合った時代。
ですから、日本が大陸や東南アジアに勢力を伸ばそうとしたことは、
素直に認めても構わないことではないでしょうか。
それが、現代の感覚と照らして正しいかどうか、というのは、また別のことです。
日本には日本の欲望があった。
それは欧米列強にも欲望があったのと、同じことです。
※
ところで、戦争をするには、「大義名分」が必要です。
そして人類の歴史上、この大義名分というのは、
戦争の本当の目的ではなく、もっともっと立派な内容になっている必要があります。
なぜなら、国民に命をかけさせなければならないからです。
くだらない理由で「お前の命を差し出せ」とは、さすがに言えませんから。
つまり、戦争はすべて「聖戦」でなければいけないのです。
例えば、アメリカがイラクを攻めたとき、
「大量破壊兵器がある」ということが大義名分でした。
ベトナム戦争では、共産主義から自由を守る、ということが大義名分でした。
ともに、実態は伴っていませんでしたよね?
でも、兵士たちは当然、その「大義名分」を信じています。
もっといえば、兵士に命令を出す軍の上層部でさえも、
恐らく、本気でその「大義」を信じていることでしょう。
「大義名分」と「本当の理由」というのはこうしてゴチャゴチャになる運命にあって、
特に現場や最前線にいる「実際に命を張る人々」は、
当然、大義名分の方しか信じてない、もしくは信じようとしている、
という状況なわけです。
だから、実際に戦争に行った人がそう言っているから、
という一次情報が、必ずしも戦争の「本当の理由」ではないと
私は思っています。
「大義名分」とはいつだって、
「そういうことにしておく」というものです。
そして、戦争の本当の理由というのは、戦地に行かない人が考えていることだからです。
私は、「大東亜共栄圏」という発想は、
日本がアジアを南下していくための「大義名分」だったと解釈しています。
その大義をそのまま実現させるためにがんばった兵士は実際にいたし、
その大義が、結果的に実際に実現した場所もある。
戦争で疲弊した列強は、戦後、植民地を維持する力がなくなったので、手放していったんですよね。
そのことと、帝国主義時代の終わりが重なったのです。
でも、日本の戦いが、それに繋がったと、言って言えなくもない。
だから、それが「本当の目的だった」と言う人がいるのも理解します。
が、私は、大本営が考えていたのは、実際にはちがうと思っています。
なぜそう思うかといえば、
明治維新以後の、日本の権力を握っていた人々の「やり方」が、
そのような「嘘」によって誠実な人間たちを動かし、自分の思惑を実現しようとする、という手法をとってきたと、
解釈されるからなのです。
先日亡くなった、中曽根康弘さん。
私はそれほど好きな人ではないのですが、
彼の先の戦争に関する解釈に関しては、私と共通している部分もあるので、
彼の言葉を記してみます。
「私なりに大東亜戦争を総括するなら、次の五点に集約されます。
一、昔の皇国史観には賛成しない。(同意見です)
二、東京裁判史観は正当ではない。(私は戦争は肯定しません)
三、大東亜戦争は複合的で、対米英、対中国、対アジアのそれぞれの局面で
性格が異なるため認識を区別しなければならない。(この解釈は重要)
四、しかし、動員された大多数の国民は祖国防衛のために戦ったし、
一部は反植民地主義・アジア解放のために戦ったと認識している。(国民を思い込ませていた、という意味で同意見)
五、英米仏蘭に対しては普通の戦争だったが、
アジアに対しては侵略的性格のある戦争であった。(同意見)
※
あの戦争は、避けられなかったのかも知れない。
けれど、日本は「大東亜共栄圏」という大義名分で日本国民を騙し、
あの戦争を戦わせていたのだと思っています。
これは、英霊たちをバカにしてるのでもないし、自虐史観でもないのが、わかるでしょうか。
私は戦後の自虐史観など、持っていません。
むしろ、戦後の日本は、「世界を平和にする」という使命を持って、
勇敢に立ち振る舞うサムライであるべきだと思っています。
そのためには、明治以降に作られた、
偽物の日本史をちゃんと反省し、
自然を愛し、物事の本質を洞察する不動心を
常に追い求める「日本文化」をしっかりと見つめ直すべきだと思うのです。
あの戦争は、私はまちがっていたと思っています。
もちろん、戦争そのものを肯定はしませんが、
もし時代背景的に避けられなかったとしても、
「戦い方」はまちがいだった。
なぜまちがえたのか、といえば、真に誇り高い国づくりができず、
西欧に追いつけ追い越せ、という「相対的な価値」に基づいた、
刹那的な価値観で国を作ったからです。
天皇は神道の長ですが、仏教とちがって、神道には「人の教え」がありません。
ただ「祈る」とか「崇拝する」ということだけがあって、
その「理由」が一切語られない。
そこに「無理」があるのです。
私は、日本人は世界の平和のために戦う国家であるべきだと思っています。
戦う相手は何かといえば、
人々を分断し、憎悪させ、争いを引き起こそうとする力です。
それは武力で戦う相手ではありません。
なぜなら、その相手は人の内面に潜んでいるものだからです。
そこを世界に説くことこそが、本当の日本人の精神性だと思います。
隣国をヘイトするなどというのは、まったくもって日本人のメンタリティではありません。
常に本質をみつめつづける姿勢を保つこと。
流されないこと。
それがサムライですよね?
※
最後に、わかりやすいことをひとつ、お伝えしたいです。
明治以後の日本は「サムライ」を否定してできています。
ですから、そこに「不動心」はないのです。
もし、私たちが、日本の精神性として「サムライ」などと口にして
それを誇りたいのであれば、
明治時代より前の日本こそが、本当の日本であるということを
しっかりと認識すべきだと思っています。