最近、先の戦争を正当化しようとする人が増えていますよね。

太平洋戦争という国際社会の側からの言い方ではなく、

大東亜戦争という呼び名にこだわる人も増えています。

 

なるほど、最近の日本は様々な面で自信を失っていますから、

「もともとの日本は、もっと強くて誇り高い国だったんだ!」と言われると、

なんだか気分がいいのはわかります。

 

でも、そういう言説が目立つようになるときって、

絶対にまずい方向に向かっているときなのですよね。

そのことは度重なる人類の歴史の愚行が証明しています。

 

ドイツがファシズムに焚きつけられていったときも、

「ドイツ民族に誇りを持て!」というヒトラーの言葉に、

第一次大戦の戦後処理に疲れ果てた民衆が熱狂してしまったことが原因でした。

 

余談ですが、芸能人やスポーツ選手が麻薬に手を出してしまうときも、

「弱くなっているとき」ですよね。

そういうときを見計らって、悪い奴はよってくるわけです。

 

日本はいま、弱くなっています。

だから「強さが欲しい」と思ってしまう。

 

そのことを冷静に見つめなければいけません。

昨日の「天皇陛下、万歳!」の連呼は、

日本がかなりヤバイ心の状態になっていることの表れだと思うのです。

 

 

話を先の戦争の正当化に戻しましょう。

 

おそらく、先の大戦を正当化したい人々の基本的な考えは、

つぎの二つです。

 

ひとつめ。

日本が戦争をしたのはABCD包囲網で石油を断たれ、

植民地にならないようにするには、他に方法がなかったから。

 

そして、ふたつめ。

白人の植民地支配から、東南アジア諸国を解放するため。

 

ABCD包囲網というのは、日本が勝手に満州国を建国したことで、

「調子にのるな」と思ったアメリカ、イギリス、中国、

オランダの4カ国が日本に経済制裁を行ったことです。

 

具体的には、石油のほとんどをアメリカからの輸入に頼っていた日本に対し、

アメリカが禁油したことが大きかったのです。

 

どちらにしても、戦争になったのは自分のせいではなく、

むしろ他者を救うための英雄的な戦争だったのだ、

という考えなんじゃないでしょうかね。

 

 

端的に言うと、

私はあの戦争が、決してアジアを白人から解放するための

英雄的な戦争だったとは思っていません。


そんなはずはないのです。


国というのは、なんらかの「基本コンセプト」を持っています。

もし、日本が、欧米に植民地支配されている国を解放するために戦争をしたというなら、

 

本当にそれほどまでに「自由や平等」を重んじるというのなら、

なぜ日本国内ではそのころ、あのような警察国家化が起きていたのか。

なぜ日本で花開いた民主化運動である大正デモクラシーをぶっ潰して、

悪しき「治安維持法」を作って、独裁体制を作りあげたのでしょうか。


その説明がつきません。


東南アジアを欧米列強の手から救うという、そんな正義感があるのであれば、

自由を求める臣民たちを弾圧などしないはずです。


まずは、我々、日本国民をこそ、自由に、平等にするはずです。

 

ちがうでしょうか。

 

客観的にみて、当時の日本は

多分に「独裁的」な国だったことは間違いないのです。

 

 

仮に東南アジアは侵略ではない、という言い訳がたつとしても、

では、満州国の建国はなんなのでしょうか?

 

韓国の併合は、日本の都合ではないのでしょうか?

 

本当に韓国がよろこんで日本に併合されたなら、

なぜあの35年間が、このように遺恨を残すのでしょうか?

 

日本は勝手な論理を世界に押し付けていないでしょうか?

日本が開国した時、世界は帝国主義の時代でした。

軍備を持って対抗しなければ、欧米列強の植民地支配を受けることは必至でした。

 

そんな世界の情勢を見た時、

急激に近代化し、国民皆兵にするしかなかったのかも知れません。


その後、アメリカからの石油が途絶えたことをきっかけに、

日本は石油を求めて東南アジアに侵攻したわけですが、

それはあくまでも、そこに石油があったから。

白人と戦ったのも、そこが白人に植民地支配されていたから、

というだけではないでしょうか。

 

けれど、「本当は石油が欲しかっただけ」なんて、かっこ悪い理由では、いけません。

 

明治の志士という人たちのグループは、

さも、必然性があるかのような、高尚な「理由」にこだわる性質があります。

 

国を支配するために、天皇を政治利用するのも同じ原理です。

 

本当は崇拝しているわけでもない天皇を持ち上げ、

日本を神の国だ、ということにして、

「理由」について語ることをアンタッチャブルにする。

 

そういう方法を用いているんですよ。

 

不相応に崇高な目的を掲げることで、意見できなくする。

反対できなくする。反対するものを排除する空気を作っていく。

それが、明治維新からつづく日本政府のやり口です。

 

だから、日本には、こんなにタブーな話題が多いじゃないですか。

戦争も、天皇も、原発も、みんな同じ構造です。

 

外側をことさらキレイにしようとするのは、

中身がドロドロであるときに、為政者が行う常套手段です。

 

我々は、歴史からちゃんと学ばなければいけません。

 

日本人は、「理由をタブーゾーンに持ち込む」ということで、

反対意見をその場しのぎ的に押し込め、結果、失敗を繰り返してきました。

 

先の戦争が避けられたかどうか、という問題と、

天皇という神をいただく神道国家という「神聖な国の在り方」は無関係なのです。

 

私が言いたいの、そこなのです。

 

日本は「神の国」だと言ってみたり、

戦争を「聖戦」などと言ってしまうことの危険性です。

 

最近、昭和天皇の言葉が多数、出てきて話題になっていますが、

その中にも、日本の敗因が語られていますよね。

 

そこには「技術よりも精神に重きを置きすぎた」という言及があったと思います。

 

私がこの日本という国に異常性を感じるは、やはりあの「天皇陛下、万歳」なのです。

「お国のために、死んでこい」という思想なのです。「生きて帰ってくるな」という。

 

行ったら死んでこい、では、戦争になりませんよ。

戦争を「殺し合い」で勝敗を決めるゲームだとするなら、

殺されないようにすることが重要なのですから。

 

このカルト宗教的は思想が、問題なのです。

近代国家化するにしても、国民皆兵するにしても、

富国強兵するにしても、別の方法もあるはずなのです。

 

それでも日本は、教育勅語による洗脳教育で

国家神道による宗教国家化を実行して行き、

治安維持法を作って自由な思想を弾圧した、という厳然たる歴史がある。

 

それが、戦争に負けるまでの日本です。

 

アジアを侵略したか、それとも侵略ではなかったのか、

という部分についてはどちらの意見もあったとしても、

政府が国民を弾圧していたことだけは、確かですよね。

 

ちがう思想を持つ人間を「非国民」と呼んで逮捕し、

拷問にかけて、処刑していたことは、事実なのです。

 

多くの日本人がかんちがいしているのは、

日本が今のような国になったのは、戦後だということ。

 

その前までは、今とはまったくちがう国だったのです。

その戦前の日本を、日本たらしてめていたのが、当時の「大日本帝国憲法」という憲法であり、

それが自民党が戻りたがっている「日本人が作った憲法」ということです。

 

憲法は、誰が作ったかが重要ではなく、何を言っているか、が重要なのでは?

 

そう思いませんか?