正観さんによると…。(知って楽しむ情報集~人間観察40年の情報いろいろ)
●経済的には困らない状態
『フォーチュン』という雑誌がありますが、その中で〝お金持ち(リッチマン)を定義したそうです。その雑誌では、資産が100万ドル(日本円でおよそ1億1千万円)以上、年収が20万ドル(およそ2200万円)以上を〝お金持ち”と定義づけることにしました。
私(正観さん)も、経済的には困らない状態で、いろいろなものを宇宙や神さまからいただいてきたと思います。これはなぜだろうと思って、考えてみました。
私は、今までに18万人の人相・手相を観たのですが、その3分の2の12万人から人生相談を受けてきました。それも全部無料です。
自分で宿泊費を払って、そこに泊まって、相談を受けていました。これの集積は、ものすごく膨大なものです。それについて、不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句を言ったことはありません。
※最後の文は、正観さんと私の違いです。慎みましょう…( ;∀;)
(イラストはネット画像です)
📚私の読書📚
721冊目 「マンガ世界の偉人~アムンゼン」 烏丸 匡 朝日新聞出版
~人類で初めて南極点に到達した冒険家~
その1 ロアール・アムンゼン(1872~1928)…ノルウエー
〇初めて南極点に到達した探検家
地球上で最も南にある場所・南極点。そこは、人間を寄せつけない極寒の地です。アムンゼンは、だれも足を踏み入れたことのなかったこの南極点に、人類で初めて到達しました。
その2 人類最後の未踏の地 南極点に挑む
①地球上で最も寒い場所
南極は、1983年に観測史上最低の気温・マイナス89.2℃を記録した。地球上で最も寒い場所、まつげは凍りつき、お湯をまくと一瞬にして空中で氷のつぶとなります。
②行く手をはばむ猛吹雪
南極では、たびたび突然の猛吹雪に襲われます。最大瞬間風速50メートルを超える台風以上の風が吹くと、人間はとうてい立っていることはできません。猛吹雪の中では、自分の手の先さえも見えなくなり、吹きつける風と雪に容赦なく体温を奪われていきます。
③キバをむく「クレパス」
南極のそこかしこに潜む、氷の割れ目「クレパス」、大きなものでは、深さが50メートル以上にも達します。雪に埋もれていて見えないことも多く、うっかり落ちてしまったら一巻の終わりです。
④平均標高2000メートル以上!!
南極は、世界の大陸の中で最も平均標高が高く、2010メートルもあります。南極点に到達するためには、この氷の高地を越えていかねばなりません。
その3 スコット隊の悲劇~アムンゼンの宿命のライバル
〇スコット隊の悲劇の理由とは?
アムンゼンとスコット、同時に南極点を目指しながら、2人の明暗は大きく分かれました。スコット隊が悲劇にみまわれた理由は何だったのでしょうか?
①犬を使わなかった
スコットはそりを引くために馬を使ったが、えさとなる草は南極にはなく、たくさん持っていく必要があった。当然、荷物は重くなる。また、馬は寒さにも弱く、南極点に着く前に次々と死んでいった。一方、アムンゼンが使った犬は寒さに強く、えさも、南極にいるアザラシやペンギンの肉を与えることができた。
②人数を急に増やした
スコット隊は、南極点まで行くのは最初4人の予定だったが、スコットが途中で5人に変更した。そのため、4人分で用意していた食料を5人で分け合い、4人用のテントに5人で寝なければならなかった。なぜスコットが急に人数を増やしたのかはわかっていない。
③寒さに弱い服など、装備の不備
アムンゼン隊が毛皮の服を着ていたのに対し、スコット隊は毛糸のセーターの上に革の上着。毛皮に比べて保湿性が悪かった。ほかにも、燃料を入れていた缶が寒さに弱く、中身が濡れ出したり、食料が足りなくなったりと、用意が不十分だった。
※なるほどー!!スコット隊は、あと20キロで次のデポ(食料や燃料の貯蔵庫)というところで、全員が不幸に見舞われた。やはりスコットはイギリス出身、アムンゼンは北国の寒い冬に慣れているノルウェー出身ということで、寒さに対しての装備や物の準備などは、生まれもっての知識や経験などの差が出たのかな?
どんなことでも準備は大切ですね。しみじみ…😿
とりあえず二つの隊、明暗が分かれたけれど、お互いの頑張りに拍手を送りたいです。
📚私の読書📚
722冊目 「それでもわたしは山に登る」 田部井淳子 文藝春秋
その1 まえがき
生まれ落ちてから七十余年も経てば、人はいろいろな体験をする。それぞれに喜びも悲しみも悔しさもまちまちだが、「まさか」と思うことだって少なくないはずだ。順風満帆に見える人でも、誰にも言えない不平不満や後悔はあると思う。
1975年以後、エベレスト女性世界初登頂者と言われ続けてきた。
ヒマラヤへ登る女は強い女、丈夫で頑丈な鉄のような女と思われがちだが、それは違う。「もうダメだ」と思ったことが3回もあった。全部山での雪崩だった。しかし、運よくわたしは生き延びてきた。
その2 大切なものを守るために
〇天山山脈トムルーム峰(7439メートル)
その憧れの山頂を目前にして、
わたしたちは撤退した。
外国人として初めて与えられた登山許可ではあったが、これ以上、登山を続行する気持ちにはなれなかった。頂上に立つことより、全員で帰ることのほうが大事だと思ったのだ。登山中止はとても大きな方針変更であったが、全員が賛同してくれた。頂上に立てずに引き返した私の数少ない山であった。そして、わたし自身があの恐怖から立ち直るまでに十数年の年月がかかったのである。
その3 つらくても山
〇副作用がなくなったら楽になるだろうが、これも生きている証拠の一つ。
副作用真只中でも考えることは前へ、前へだ。
一番の苦労は人との付き合いである。義理を欠いて多少悪人にされても、ストレスのない付き合い方に変えていかないといけない。まずは自分の健康、体治しが最優先事項である。
その4 文庫版あとがき
こうした予定に向かっていくことが、毎日毎日の励みになるのだなあと思います。
その合間にまだいったことにない山々への旅を企画し、実行する。これが貯まらない楽しみの瞬間なのです。万一次の山の準備中にバッタリ倒れたとしても、わたしに悔いは残りません。
自分の家の片づけに時間を使うよりも、まだ見ぬ土地や風景へ向かって、ウキウキしながら用意している時に、神様から「そろそろ寿命ですから、ボチボチ参りましょう」となったら、それはそれで受け入れてまいります。それまでは前進あるのみ、の生活を続けたいと思っています。
※吉永小百合さんの映画を観て、田部井さんのことが詳しく理解できました。ずっと前に私も富士登山を経験して、その後田部井さんが東北大震災の学生さんたちと富士登山を毎年されているのを知って、田部井さんのことはどこか胸の奥で関心をもっていたんですよね。
今回映画を観て、そのあとこの本も読んで、規模は違うけれど、思いは田部井さんと同じ。家の片づけなどは置いといて、元気なうちに自分のやりたいことを前進あるのみ…まさしく同じ思いです。共感です!!
ありがとうございます。田部井さん♪
♪私の好きな歌♪ Radio Ga Ga(再)♪ Queen
やっぺりこのフレディ・マーキュリーの力強い歌声は元気をもらえます。
だいぶ前にラジオで流れていたな。
わたしたちもあちこち体にガタがきつつありますが、できる限り養生して
自分のやりたいことをもう少しやっていきましょう!!
音楽に元気をいただきながらね…♪
今日も見ていただいてありがとうございます。
肩はおかげさまで、整形外科に行き、先生のお薬と超音波や電気治療が良かったのでしょう。ずいぶん楽になりました。右腕がよく動くようになってきましたよ。ドクターに感謝です。ちょいと変わった感じのドクターでしたが…( ´艸`)。でももう少し通院しますけどね。今日は念のため昔、椎間板ヘルニアを見てみらっていた隣町の整体さんにも行きますよ。自分で行こうと思っていたけれど、ドラが連れていってくれることに!ラッキー!!
この土日は、他にもいろいろありちょいと忙しいですが、がんばりましょう!
みなさまもお忙しいでしょうが、よい休日をおすごしくださいませ。
次回は、月曜日にお会いしましょう!
ではまたね…。ごきげんよう!!











