「人はなぜ笑うのか」というタイトルで今日は書きたいと思います。

 

最近、ワールドカップなど真面目にならないといけない話題が多かったので、たまには少しくだけた記事を書こうと思います。

 

 

人はなぜ笑うのでしょう。

 

 

他の動物は笑わないのかと調べてみると「人間と同じ類人猿」と「ラット(ねずみ)」も笑うらしいです。

 

 

類人猿であるオランウータン、ゴリラ、チンパンジーを脇をくすぐる実験を行ったら笑ったらしいです。

 

 

そしてラットもくすぐると普段遊んでいる時と同じ声を出して反応するらしいです。

 

 

 

 

うちでネコを飼っているのですが、ネコがリラックスして手を上げる動作をするようなタイミングがあるのですが(招き猫みたいに)、そのタイミングで脇をくすぐれば笑うかくすぐったいと思うような動作があるか試したことがありました。

 

 

結果は、特に何も反応をしないのです。

 

真顔なんですね。

 

 

 

犬を飼っている方は犬で試してみてください。

 

おそらく何もないと思います。

 

 

 

そして、人はなぜ笑うのかを立証しようとした人が多くいるらしく、その一人に19世紀のドイツの哲学者であるアルトゥル・ショーペンハウアーという人物がいたらしいです。

 

 

 

 

(他のサイトの記事を少し引用して書いていきます)

 

 

この人物が本当に面白い人なのかはわかりませんが、笑いは理性の一部というように説いたらしいです。

 

 

「客観的な事象から抽象的な概念を作り出すのが理性」という話らしく、例えば剣道の竹刀は固いイメージや当たると痛いイメージがあります。

 

 

このような事が、私たちは自然に思考の幅を広げているらしく、

 

 

「笑いは現実と概念の不一致によって起こる」という事で、この竹刀の打撃を受ける人は当然痛いと思ってリアクションをすると思いますが、実際は柔らかいふにゃふにゃなものだったりすると、笑いが起こったりするという話らしいです。

 

 

 

確かにそんな感じがします。

 

 

 

そして、その現実との不一致が大きければ大きいほど笑いが大きくなるという話みたいです。

 

 

 

第三者からすると痛くないはずなのに大きく痛がるようなリアクションをとったり、ふにゃふにゃ感が大きかったりすればするほど笑いが大きくなる気がします。

 

 

 

これは本当に笑いの参考になるのかもしれないですね。

 

 

 

 

 

 

*** ここまでで話は終わりなのですが、後は個人的に書いた感じなので続きを読みたい人だけ読んでください。 ***

 

 

 

個人的には、そういう変な事が起こった時に緊張を和らげる為に笑いという動作が起こるのではないかと思います。

 

 

 

例えば、誰かが道でつまづいたとしたら、普通と違う動作をしてしまったので他の人が見ていたらその状態をしてしまったとか、見てしまったとかそういう緊張が生まれるので、それを緩和させる為に笑うという感情表現で緊張を和らげるのではないのかなと。

 

 

 

当然、本当に大きくつまづいて派手に転んでしまったり、壁にぶつかってまでするとより変な事をしてしまったという大きな緊張状態になるので、その分、自然に大きな笑いへとつながるのではないかと思います。

 

 

 

そういう緊張で笑いになるのは、本人が許容できる範囲に対してのものだとも思います。

 

 

 

見ている人は笑って緊張を和らげますが、本人が壁にぶつかって本当に痛い思いをして骨折まですると本人は笑いにならない感じになると思います。

 

 

人によっては笑っている人もいるのかも・・・。

 

 

 

 

見ている人は、ぶつかって痛い思いをしていないので、その状態での緊張状態で笑えるか笑えないか笑いをこらえるかになるのではないかと思います。

 

 

だから、大きく笑ったりすると緊張状態がほぐれるのでストレス解消にもなるのではないかと思います。

 

 

 

・・・・でも、書いていて違うなと思いました。

 

 

類人猿とか他の動物より知能がある生き物が笑ったりするから、理性とかそっち方面が正解なのかもしれないですね。