息子は
知的障害をもつので
出来ないことが
生まれつき多い。

でも
配慮してもらったり
支援を受けたり
ゆっくりゆっくり
慣れることで習得していき
彼のペースで生きている。

照れ
彼は小学生の時に
知的障害があることがわかり
自分自身と向き合ってきた。
だから
本人も受容しているし
自己肯定感も
コントロールできていると思う。
(完璧ではないけど…)

照れ
家族も
そのままの息子を
認めようとしてきたし、
本当に彼は彼なんだ
という意識が強い。

もちろん
出来ないことに
フォーカスしない。



鉛筆鉛筆
さて。

先日
高齢の義父が
アルツハイマー型認知症の
診断を受けた。

今まで出来ていたことが
出来なくなってきている。

伝えたいことも
上手く伝えられなくなった。

今まで
出来ていたことが
出来ない
ショボーン

『自分は認知症ではない。
そんなはずはない!』
そんな思いなのか。。。


義父は
どうして
ワシの言うことが
わからないのか!
プンプン
何を訳のわからないことを
言ってるのか!
プンプン
そんなこと〇〇に
決まってるだろうが!
プンプン
黙ってろ!
プンプン

大きな声で怒鳴る。

ワシは悪くない!
相手の理解力が
足りないせいだと
人のせいにする。


義父の言うことは
毎回同じ話。
辻褄も合わない。

ショボーン
そして
家族は
義父の言うことに
何も言わなくなった。
(言えなくなった)

はい。そうだね。
お義父さんの言う通り。
とだけ言い、
話が通じないのは
こちらが悪いということに
すれば、満足そうだった。

義父の
認知症に対する
嫌悪感は激しくて

「かわいそうにな。
気の毒に
あんなふうには
なりたくないな。
ワシは
(認知症)ちがうから
よかった。
認知症にならないように
ワシは頭を使ってるから
大丈夫」

と繰り返し言う。


『かわいそうに。
自分は違う。
あんなふうになりたくない』

その言葉に
私は
いやだなと思った。
無意識かもしれないけど
差別的だなと
思ったから。


知的障害者をみて
『かわいそうに。
自分とは違う。
あんなふうになりたくない』
言われているのと
同じ気がした。


つづく…