息子は『軽度知的障害』だと診断を受けた。

👨‍🔬「知的に遅れがある。
発達が遅くても、のちのち追いつくというわけではない。
今後、小学中学年以降、さらに差が大きく開いていくでしょう。」


と、はっきり淡々と言われた。

なに?
頭が真っ白になる。
顔の表情なんてない。まばたきも忘れる。

その後、臨床心理士や医師が私に何か言ってたが、水の中にいるようなボンヤリとした音にしか聞こえない。。

隣でオットが、一生懸命に今後どうするのが最善なのか?というようなことを聞いていた。
私の代わりに冷静でいなければ…と思ってくれていたのかな。

この時の光景は、今も忘れない。


他の子とどこか違う。何か違う。
と、ずっと感じてきたはず。

だから、相談に行ったんだ。

知能テストを受けることは、息子にとっても良いことだと思って。


その時は
「たいした問題ではないですよ。少しのんびりしたお子さんです。治ります。」
…とでも、
言われるつもりでいたのかもしれない。


心配ないと言われるはずと思っているところに
《知的障害児》なんて言葉があっさり出てきたのだから。


その日は、その後どうしたのかあまり覚えていない。

それから。
数日間は猛烈な勢いで、知的障害児がどういう進路を辿り、大人になるのか?
どう支援することになるのか?
と調べまくった。

そうせずにはいられない。

そして、私は
「専門家と言っても、あの人達はうちの子をどれだけわかってるというの?
何も知らないじゃない。」

と、認められずにいた。

知的障害を持つ子のイメージが、重度のお子さんの場合しか知らなかったから。
「うちの子とぜんぜん違うでしょ?!」と、
騒いでいた。
(失礼です。ごめんなさい。)

パニックになってる私とは反対に、
オットは、困っている息子のために、
今、何が必要なことなのか?…
を正確に知ろうとしていた。

重度であれ、軽度であれ、
息子に障害があるなら、そこにどうアプローチしていけば、親として正解なのか?
早くアクションを起こさなければ!と
いう考えだった。

私は、まだ気持ちがついていかず
「まだ小さいし様子を見ていけば…」
と言って、事を後回しにしようとした。

…が、そのまま
手探りで、迷いながらの療育、支援、家庭での適切な関わりが始まった。