こんにちは
* ੈ✩‧₊˚
地震が続く熊本や九州地方の方
これからどうなるのか、心配なことと思います
昨日は娘12歳の誕生日でした
じいじと合同の誕生日会をやりました
3.11の時は、娘は卒園間近の6歳でした
愛華は幼稚園の延長保育にいて、
パパー旦那 は家の近くにいて、
そして 私と当時3歳の息子は 新宿駅にいました
小田急線のホームで目の前に止まっていたロマンスカーを2人で見ていたら、
初めは めまい? かと思いました
するとロマンスカーのパンタグラフがグラグラ
駅構内のガラスが揺れて、
とっさに息子にパーカーの帽子を被せて、抱えました
緊急地震速報… 新宿駅くらい大きな駅なら、
地震の前に警報が鳴ると思っていました
まだきちんと機能してないのですね…
とにかく 帰るのは無理 と思い、携帯のバッテリーもすくなかったので、小田急デパートの公衆電話と椅子がある場所に急ぎました
携帯と公衆電話で何度も旦那の携帯に連絡し、自宅へかけたら、旦那がいて ホッとしました
娘の事よろしくね!
うん、でもオレは参集かかってるから、署にいかなきゃいけない
…… そうでした!
パパは四谷消防署の消防士でしたー当時
うちには自転車がないので、ご近所のママ友に自転車をかり、
娘はじいじ、ばあばにお願いしました
パパは自宅から7時間かけて、自転車で消防署へ向かいました
私と息子は余震で揺れるガラスのショーウインドーが割れそうで怖かったので、
近くのホテルに泊まろうと思ったけど…どこも空いていない…
オムツが取れたばかりの息子の事を考えると、
とにかく安全で食料のあるところ…
空いてなくてもやっぱりホテル!
と思い、京王プラザホテルへ向かいました
ロビーに入って、ビックリ!!!
あちこちに椅子に座った人がたくさん避難していました
子連れは私くらい… すきま風がふくロビーで6時間くらい過ごしました
途中 パパからは 多摩川 渡れない! とSOSの電話が入ったり、
公衆電話は長者の列…1時間待ち、実家で娘達の安全を確認でき、ひと安心
その後 夜中に 宴会場へ案内され、 ぐっすり眠っている息子を抱え、隣にいた大学生のお兄ちゃんが荷物を持ってくれました
温かいお茶はあるけど、シャンデリアが余震のたびに大きく揺れ、寝れませんでした
朝、たくさんの人がテレビの前にいて、
私はその時初めて 津波の映像を見ました
この世の終わりかと思ったのを覚えています
電車が復旧してたけど、何だかすぐに動くのも怖くて…
でもお昼くらいには やっぱり家に帰りたいと思って、
電車に乗りました
いつも当たり前のようにはしっている電車
途中で止まらないで!と願うことくらいしかできませんでした
娘とじいじばあばに会った時は、本当に安心しました
パパは13日に帰宅、
久しぶりに家族水入らずの夕飯の最中に電話がかかってきました
オレ、明日から被災地行く事になった…
14日朝、両親が消防署まで車で送ってくれて、
それから5日間 気仙沼で搜索活動をしてたそうです
17日には娘の卒園式がありました
一緒に参加する予定だったのに…
もう二度とパパには会えないかもしれない…
そんな思いで撮影した卒園式のビデオは私の鼻をすする音がバッチリ入ってました
でも 旦那の安否情報の電話が会社ー東京消防庁ーから1日に2回くらい、かかってきました
そして、滞在先の近くに、携帯の電波が届く所があったので、旦那とも携帯で話せるようになりました
旦那の元気そうな顔を見た時は、
思わず田舎の駅で 走って抱きつきました
まるで映画のワンシーンみたいでした
生きて帰ってきてくれて、良かった!
心からそう思いました♡
旦那は5日間お風呂に入れず、自衛隊がうらやましかったそうです
それからも余震に怯え、計画停電で不便な生活を過ごしながらも、
宮崎の義理母が危険だったら何人でもいいから、連れてきなさいと言ってくれて、とても心強かったです
あれから5年が経ちました
旦那は相談もなく、救命士になりました
たまに旦那の手を見て思うんです
…この手で、何を拾ったのだろう?と…
色々な経験したからか、旦那はすっかり亭主関白になりました
私は去年の秋に起こった鬼怒川の氾濫
津波の映像を思い出し、
PTSDによる自律神経失調症と診断されました
地震の被害に遭われた方は 私には計り知れない
ご苦労があったかと思います
今も続く余震に、どんなにか不安な思いで毎日を過ごしているか…
そして、地震がおさまった後でも、心に残る傷と向き合わなければいけない方も多く出てくると思います
自然の中で生かされている 命 を
改めて大切にしなくてはいけないですね
あらためて、
亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、
被害に遭われた方、被災地で活動する方が1日でも早く 心休まる日が来ることを願っています


