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久しぶりの神社記事。
西丹沢の登山で無事下山したのでお礼参りに参拝させていただきました。
JR茅ヶ崎駅北口バスターミナル5番線よりバス停 「鶴嶺小学校」バス停より徒歩2分
祭神
應神天皇(おうじんてんのう)
仁徳天皇(にんとくてんのう)、佐塚大神(さづかのおおかみ)
長い参道
引用元:鶴嶺八幡宮 HP
相模の国、茅ヶ崎の総鎮守として往古より八幡信仰の地として名高い。
長元三年九月(1030年)、源頼義は下総の乱を鎮定するため懐島郷(現地)に至り、源家の守護神石清水八幡宮を勧請して戦勝祈願をしました(別に宇佐八幡宮勧請説もあります)。
永承六年(1051年)前九年の役(安倍一族の反乱)が起こり、陸奥守となった頼義の応援に向かった長子、源義家が懐島郷に入り戦勝祈願をしました。前九年の役が終わった康平六年(1063年)、頼義は鎌倉由比郷に鶴岡八幡宮の前身である「元八幡」を建立し、当八幡宮はその旧社であることから「本社八幡宮」といわれました。
歴代源家の信仰も厚く、格別に手厚い保護を受け、懐島を領地とした大庭景能は源家の再興に協力し、将軍となった頼朝に重く用いられました。
弘安四年(1281年)蒙古退散の祈祷があり、この戦に大勝した日が六月閏三十日の晦日だった為「晦日祭」といいました。この「晦日祭」は両社(八幡宮と佐塚明神社)の例祭となりました。
江戸時代、徳川幕府は先規により高七石の朱印地を寄進しています。昭和九年九月十五日に郷社に列格しました。
当八幡宮は源氏が関東へ進出する第一歩として祀った最初の氏神社ではありますが、このことはあまり知られていません。
本社八幡宮の由来こそ源氏の歴史、関東進出の真相を語るものであります。
拝殿
本殿
津島神社
祭神
少彦名命(すくなひこなのみこと)
御神木
源頼義が前九年の役の戦勝祈願を込めて手植えしたという樹齢900年のマキ
大イチョウ(6月か11月下旬に訪れたら良い写真が撮れたと思う)
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