航空幕僚長が懸賞論文に応募して最優秀賞を受賞し、その内容が政府見解とことなるということで幕僚長が更迭された。
これはとんでもない言論弾圧である。
その論文を読んでみたが、とくに騒ぎ立てるほどのものではない。こんなレベルの論文で賞が取れるのか?というほど当たり前のことが書かれているにすぎない。
この論文の内容について概ね同意見であるが、次の4点に疑問がある。
① 日中戦争は蒋介石の陰謀で日本が引き込まれた。
② 盧溝橋事件は劉少奇の計略により引き起こされた。
③ 張作霖爆殺は関東軍がしたと断定できない(ソ連の可能性がある)。
④ アジア諸国では、大東亜戦争を戦った日本を高く評価しているとして、複数の国名を挙げている中にシンガポールが入っている。
①について、私は日中戦争は国民党軍、共産党軍、日本軍があたかも三国志の魏、呉、蜀のように覇権争いしていたが、最終的に毛沢東が漁夫の利を得たというふうに見ている。だれが引き込んだとか単純な話ではない。しいて言うならば蒋介石よりも毛沢東の謀略である。
②と③は学会ではまだ認められていない説である。
④について、アジア諸国の中にシンガポールが入っているが、シンガポールは華僑の国であり、大東亜戦争は日本の侵略戦争とみなされている。
ちなみに東南アジアへ旅行でも仕事でもいいから行ってみて現地の人々と直接話をしてみると、ビルマ(ミャンマー)でもインドネシアでもマレーシアでも親日的であり、日本のおかげで独立できたいう意見が大半のようである。特にインドネシアでは、大東亜戦争の敗戦後に2000人の日本兵が現地に残って現地のインドネシア人とともに、インドネシアへぬけぬけと戻ってきたオランダ軍と独立戦争をした。この戦闘で生き残った日本兵は500人と言われるほどの激戦であった。このときのインドネシアの指導者はスカルノであり、のちにテレビタレントのデヴィ婦人の夫となる人物である。
インドネシア独立戦争を戦った日本兵でその後も現地に留まった人が何人もいるが、彼らが死んだときはインドネシアの国葬となる。インドネシア独立記念日の軍事パレードには当時の日本兵の軍服を着た兵隊役の者が参加する。
これは人から聞いた話なので確証はないが、ミャンマーの独立記念日の軍事パレードで君が代が流れるそうだ。ノーベル平和賞を受賞し、現在もミャンマーで軟禁生活を送っているアウンサン・スーチーの実父のアウンサンは25歳のときに日本に亡命し、日本軍の援助でビルマ独立運動を行った。このときの戦闘で怪我をしたアウンサンの世話をしていた看護婦(女性看護士って書かなあかんのか?)と恋に落ち、結婚して生まれたのがスーチーである。
これはとんでもない言論弾圧である。
その論文を読んでみたが、とくに騒ぎ立てるほどのものではない。こんなレベルの論文で賞が取れるのか?というほど当たり前のことが書かれているにすぎない。
この論文の内容について概ね同意見であるが、次の4点に疑問がある。
① 日中戦争は蒋介石の陰謀で日本が引き込まれた。
② 盧溝橋事件は劉少奇の計略により引き起こされた。
③ 張作霖爆殺は関東軍がしたと断定できない(ソ連の可能性がある)。
④ アジア諸国では、大東亜戦争を戦った日本を高く評価しているとして、複数の国名を挙げている中にシンガポールが入っている。
①について、私は日中戦争は国民党軍、共産党軍、日本軍があたかも三国志の魏、呉、蜀のように覇権争いしていたが、最終的に毛沢東が漁夫の利を得たというふうに見ている。だれが引き込んだとか単純な話ではない。しいて言うならば蒋介石よりも毛沢東の謀略である。
②と③は学会ではまだ認められていない説である。
④について、アジア諸国の中にシンガポールが入っているが、シンガポールは華僑の国であり、大東亜戦争は日本の侵略戦争とみなされている。
ちなみに東南アジアへ旅行でも仕事でもいいから行ってみて現地の人々と直接話をしてみると、ビルマ(ミャンマー)でもインドネシアでもマレーシアでも親日的であり、日本のおかげで独立できたいう意見が大半のようである。特にインドネシアでは、大東亜戦争の敗戦後に2000人の日本兵が現地に残って現地のインドネシア人とともに、インドネシアへぬけぬけと戻ってきたオランダ軍と独立戦争をした。この戦闘で生き残った日本兵は500人と言われるほどの激戦であった。このときのインドネシアの指導者はスカルノであり、のちにテレビタレントのデヴィ婦人の夫となる人物である。
インドネシア独立戦争を戦った日本兵でその後も現地に留まった人が何人もいるが、彼らが死んだときはインドネシアの国葬となる。インドネシア独立記念日の軍事パレードには当時の日本兵の軍服を着た兵隊役の者が参加する。
これは人から聞いた話なので確証はないが、ミャンマーの独立記念日の軍事パレードで君が代が流れるそうだ。ノーベル平和賞を受賞し、現在もミャンマーで軟禁生活を送っているアウンサン・スーチーの実父のアウンサンは25歳のときに日本に亡命し、日本軍の援助でビルマ独立運動を行った。このときの戦闘で怪我をしたアウンサンの世話をしていた看護婦(女性看護士って書かなあかんのか?)と恋に落ち、結婚して生まれたのがスーチーである。