どうして、強さから眼を背けたがる。

意識すれば手に入るかっていうと勿論違うが、其の侭進めば躓くと分かっていて、また教えられていて如何して君は盲進できるのだろう。

如何して、自分に他人を変えられないのだろう。

僕は自分の過去の経験又は知識から、出来る限り他人が不幸にならない様にと色々と奔走していた。

確かに友達でい続ける事こそが、一番彼らを尊重しまた実際に支えてあげられる状態であるかもしれない。

時には注意し、時には励まし、慰めながら育つ君を傍らで見てやれる、そんな関係なら確かに美徳であると自分は思う。

其れがきっとファミリーであったり、各々が属しているオピニオンに備わるべき因子であるとも自分は思う。

けれど、そんな高尚な概念が実際に存在している彼ら又は彼女らに備わっているかとなれば甚だ疑問だ。

故に幾度か、警笛を鳴らしまた必要な限りの啓発を行った。しかし、僕の説明が下手くそなのか人間に備えつけられているホメオスタシスが其れを拒むのか、結局僕の想定している最悪な事態にまで陥ってしまう事が多々あった。

コミュニケーションの目的を"暇つぶし"と考える彼らと僕は初めから、住む世界が違っていたのかもしれない。

だけど、同じ人間であるのなら"痛み"にあたる部分はきっと誰しもが経験しうる存在で其れから解放を促そうとするのはそんなに悪手な事なのだろうか。また、僕自身が自らの啓発によって既に救われていた人間を認識していないだけなのか。

分からない、が、少なくとも僕は他人が傷ついている姿を幾度も目撃してきたし、実際に体験してきた。

書店を覗いても、並々ならぬほど多様な落とし穴についての示唆が為されているのだから、君が其の侭で大丈夫という保証はどこにもないのだ。盲目な安心感程、他人を巻き込み害する素因は存在しないと僕は思う。

何故なら、"大丈夫"という言葉は自分を基準として用いられるからだ。

僕は別に完璧になってほしいと願っているわけではないが、そんなに明確すぎる欠点を抱えていて如何して放置できてしまうのだろうという部分についての話だ。其れが個性という言葉で括られる様なら別に構いやしないが、今は大丈夫でも明日になれば其れに気付いてしまうかもしれない。明日になってからじゃもう手遅れとなっているのかもしれない。

けれど、それさえも"その人の人生だから"という言葉の前には単なるお節介焼きと笑に伏されてしまう事だろう。

本当に親しい人間だけが、心配してやればいいという考えが実際に存在しているけれど、僕はそうは思わない。

老後2千万ではないけれど、必要なら初めからキチンと誰もが知っているべきだと思うんだ。

知りませんでしたじゃ、自分の人生は誰も救ってはくれないのだから。

僕だって自分の体しか動かせないし、僕の時間しか動けないから君の人生を救うのは余りに難しい。

どうして話の分からない他人に此処まで寄り添いたいかといえば、自分の場合は寄り添ってくれる人間が独りもいなかったからだ。

初めから誰かに助けなど、求めてなんかいなかったけれど実際に其の痛みを知るからきっと意識に残っているのだろう。

どうでもいいけれど、僕は皆とワイワイするだけの関係性なんか初めから求めちゃいないんだ。

弱い人間の本当の味方でありたいから、僕は其の弱さを認めない。