最近、思う事がある。
人間は自分以外の人間に対して酷く無知であると、そう思う。
自称大人は、自分の経験してきたことを何でも他人へと投影するが、其れも亦無知極まりない。
人間という存在或いは記号に対して僕は悲観的に捉えているから、人間の知性という可能性に僕は絶えず賭している。子供の頃、あれだけ"優しい大人になりなさい"とか"他人を思いやれる大人になりなさい"って育てられたのに、どうして僕らは其の知識を冒涜するのだろう。
如何して未熟な自我の儘、奔走しまた自由を勘違いして挙句にも世界を憎むのだろう。
分からない訳ではない。また、見下しているわけでもない。
ただ、そうなってしまう事を理解したくないんだ。
もし、君が手にしている其の尺度が正しいというのなら其れを誇ってみせてくれ。
全てを受け容れていると自負する自分に酔っているだけなら、明日にはきっと醒めているだろうから警告を鳴らしておくよ。"普通に生きている"と思い込んでいるそんな普通な人間なんて個人単位では誰一人として存在してはいないんだ。集団の力に酔いしれ、また独りの弱さを知らない、そんな人間を普通と呼称しているのなら、君も集団に加わればいい。
其処で下手に育った自尊心が多少なりとも存在するのなら自分を信じて、自分なりに牙を研ぎ続けるのもまたアリだと僕は思う。
至らない自分について、自分が責めようとした時心が弱っている人間というのは必ず環境や自らの両親のせいにしたりする。こんな自分になったのは全てお前らのせいだ、初めから産んでいなければ~なんて事を延々と自らが至ってない理由とする。
そんなことを意識する暇があれば、何かできるようにしようとコツコツと積み上げる事だって出来るのが人だが、人という生き物は如何せん習慣に左右される。また、思考の鋳型が固まれば固まるほど現状を維持しようとする。それゆえ、君を支えようと手を差し伸べてくれるその優しさに気付けない。或いは気づけていても傷つけてしまう。其れが悪循環となり、また他者の心も巻き込む事によって負のスパイラルは拡大及び拡散していく。
従って、ふとした拍子で人間がスパーンと変わる事など早々ないのだ。しかし、虚しくもインパクトバイアスという名のバイアスは存在していて、そんな契機に賭してしまっていたりするのだ。
人生について諦める姿を他人に見せつけるのは、何処か救いを求めているからかもしれない。
俗に言われている"かまってちゃん"がこれに該当すると思うのだが、そんな人間に対して寄り添おうとする人間というのは決まって同じく心が弱っている人物か、性に貪欲な異性というのが実状だと自分は思ったりする。需要があれば供給もあるので、何だ案外救われてるやんなんて思うかもしれないが、人間は環境によって変化していくからね。満たされ始めると、次第にその需要がなくなってくるのだ。そして最悪の結果を迎え入れる事になる。
何故なら、自分にとっての救世主が自分を見捨てるのだ。世界に対する恨みは増すし、生きる事に対してはより悲観的となって当然だろう。
だからどうすればいいかって話だけど、僕は其れを具体的に君に教えるつもりはない。自分の道を信じればいいと思うし、自分の道を好きなように疑えばいいと思うから。
自由な世界を自由に生き抜く為には、平等な権利だけじゃ届かないと思うよ。
厳しい表現が続いたように思うから、心悪くされた方には正直申し訳ないです。もし僕が言い得ていて、実際にそんな人が存在するんだとしたら貴方に伝えたいのは、あなたは別に間違ってなんかいません。正しいも間違いも、自由な世界に存在しちゃいないんです。自分はいてはいけない存在なんだとか、自分という存在が生理的に許せないだとか、そんなことは無いですからゆっくり丁寧にもう一度やり直しましょう。
自由過ぎる其の世界の一部分を知っている貴方は、飛ぶことを恐れるかもわかりませんが何も空だけが幸せとは限りません。大地を這うように生きる貴方もキチンと生きていますから、大地に芽吹く花の美徳に気付いてください。深海に及べば、恐らく色も音も届かないでしょうが間違いなく貴方だって生きています。何処に辿り着くのか分からないその深淵を心ゆくまで旅してください。きっと空も海も私が思うに、根の部分はそう変わりません。
其れでは皆さん、「 」。