北垣のブログ

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3賢人を目指して



白洲,広田,Guevara

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名古屋市民は、これでイイのか?
知事選・名古屋市長選・名古屋市議会解散の住民投票のトリプル選挙。

良く考えてみると、トリプルなのは名古屋市民のみで、愛知県の他の市町村民は巻き込まれた感じ。
大村さんを正面から批判する気はないが、各種報道を見ていると、河村さんに乗っかっているイメージが強い。

劇場型政治は、小泉純一郎で懲りたと思っていたが、名古屋市民は違った。ポピュリズム政治はまだまだ続くのか?


議会や公務員をやみくもに叩き、「議員定数・公務員削減」や「給料カット」を叫び「我こそは住民の見方だ!」、と宣伝する。
これらが、論理的整合性があるなら構わない。阿久根市で話題になった、議員の給料が市民平均からかけ離れているから下げる、というのは納得がいくだろう。

減税を実施して、財政状況はどうなるのだろう?行政としての市民サービスの質・量の低下を招きはしないか。減税よりも行政による財政拡大が経済に対する効果が大きいことは、マクロ経済学の基本的な理論ではないか。今の状況での減税は消費よりも貯蓄にまわる可能性大。

そもそも、国や県から独立したがっていたはずの河村さんと、「中京都」構想を打ち出した大村さんがなぜ連携するのか。論理的には相反する考えではないのか?


最後に、任期満了に伴う市長選ではなく、わざわざ県知事選にぶつけた河村名古屋市の財政が今回の本来不必要な選挙費用で圧迫され市民にしわ寄せが来ないことを祈る。
バカ売れした「品格」シリーズ

試しにAmazonで新書のみ検索して見ると・・・

『親の品格』があれば『子どもの品格』があり、

『女性の品格』に対抗してか『男の品格』、

更に『人間の品格』や『日本人の品格』、『国家の品格』、『日本の品格』、『会社の品格』、『名古屋の品格』まで・・・

しまいには、『横綱の品格』や『猫の品格』、『ゴルフの品格』、『朝めしの品格』、『謝罪の品格』などは、ターゲットが限定的過ぎやしない?


ここ数年は、「品格」本に対する批判本が出版されている

『「国家の品格」を撃つ』や『「国家の品格」批判』、『品格バカが多すぎる』、こんな感じ


続いて、文庫本や単行本も調べてみたが、よくこんな内容で出版出来るよなぁ、ってのがたくさん

「老い」、「女体」、「学生」、「腐女子」、「下着」、「教師」、「会社員」、「ふたり」、「エース」、「自分」、「軽井沢」、「県民」、「遊び」、「一流」、「仕事」、「上司」、「課長」、「社長」、「政治家」、「有権者」に「総理」と出る出る

(=◇=;)


これだけあらゆる事象の「品格」を求めている読者がいるのか?

自分のとる行動を、他人から見て「~らしい」行動の枠内に収め、集団の流れに反しないように求める日本人像がある

「品格」という言葉によってある種正統性を持たせた行動を取ればよい、なんて・・・

「一億総中流」なんて昔のことと思っていたが、「格差」という言葉をみんなが口にし、オンリーワンが良いと言われる今日でも精神的には同一性や何かしらの外部から提示される基準を求める日本人

ヒト・モノ・カネのグローバル化が進んでいる現在では、特定の基準は当該社会においてのみ当てはまる基準でしかない

憲法の「公共の福祉」に反しないようなら様々な「品格」があってもいい

多様性

もちろん、法治国家である日本において、法に反することは、ダメだけど
国政選挙において多くの候補者が、「○○(地名)の為に・・・」と街頭で叫んでいる。

しかし、「国政」選挙である。国会議員を選出するための選挙であるはずが、特定地域の利益確保を叫び当選することはいいのか?
当選した議員は、日本全体の利益のために活動しなければならないと思うが。

特定地域に奉仕したければ、地方議会選挙、若しくは、都道府県や市町村の首長選挙に出るべきではないのか。

憲法43条1項
「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを構成する。」

選挙区や選挙母体(政党や後援団体)の代表ではなく、全国民の代表である。

確かに、立候補者に投票するのは当該選挙区の有権者だ。1票でも多く得るためには、選挙区の有権者の心をつかまなくてはならない。そのために、あたかも自分が当選すればこの地域に利益をもたらしますよ、的なことを言いたくなるのは想像に難くない。

だが「国政」選挙である。日本のこれからを担う代表者を選出するのだから、立候補者は大所高所から現状の問題点と解決策を述べるべきだろう。もちろん、日本全国レベルで。


立候補者のみなさん。
名前を連呼するのではなく、もう少し中身のある街頭演説を行ってください。
選挙区の有権者は大切ですが、国レベルでの政策をお願いします。