知恵の道は楽しい道 | ふりーばーど

ふりーばーど

私の聖書勉強、他徒然

目に見える喜びの度合いが低くなっている人、津波に飲まれた船のように破壊されてしまった人、ひどい痛みの中にいる人、貧しさの中にいる人、そのような人が、自分が信じている神に親しく語りかけることができるだろうか。そのうえ、

「見よ。神が私を殺しても、私は神を待ち望み、なおも、私の道を神の前に主張しよう」(ヨブ記13:15)

と言えるだろうか。

最悪の場合であっても、私たちキリスト者は、「勝ち組」と呼ばれる状態にいる人たちよりずっと幸いなのである。

信仰を持った者の貧しさは、信仰を持たぬ人が豊かなよりずっと幸いなのだ。

私たちキリスト者が病の中にいるのは、不義な人が健康であるよりよいのではないか。私たち信仰者が落胆しているのは、地上で最高の名誉を受けるよりもずっと幸いな状態なのだ。

罪の歓楽に耽るよりも、死の苦しみと同じほどの痛みに苦しむ方がはるかに勝とは考えられないか。

私たちは神の力をあまりに低く見積もっている。私たちは世の人から「まがいもの」と思われるものから、複利の利子が伴う豊かな世界を手に入れることができるのだ。

神の民は賛美をささげる。彼らは光の子であり、朝に楽しそうにさえずる鳥であり、陽の光の中で美しく咲く花のような者たちだ。

箴言に「知恵の道は楽しい道であり、その通り道はみな平安である」(箴言3:17)と言われている。

神の知恵に従うとき、私たちは決して終わることのない、完全に調和した、天へと導いてくれる音楽を聴いてる。

闇が闇の上に重なり、心が悩みに押し潰されるとき、その柔らかで妙なる音の調べが私たちと共にあるのだ。

私たちは悲しみの中にあっても、常に喜ぶことができる。私たちはずっと以前から、このことを知らされていたのではなかったのではないのか。

 

C・H・スポルジョン「いこいの水のほとりにて」より

 

 

月初めは仕事が忙しいです。