幸いなことよ。
悪しき者のはかりごとに歩まず、
罪びとの道に立たず、
あざける者の座に着かない人。
まことに、その人は主のおしえを喜びとし、
昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
その人は、
流れのほとりに植えられた木のようだ。
時が来ると実を結び、その葉は枯れない。
そのなすことはすべて栄える。
悪しき者はそうではない。
まさしく風が吹き飛ばすもみがらのようだ。
それゆえ悪しき者はさばきに立ちおおせず、
罪人は正しい者の集いに立ち得ない。
まことに、主は、正しい者の道を知っておられる。
しかし、悪しき者の道は滅び去る。
神は、人を今の場所に植える際に、絶対に間違いを犯さない。美しく力強く育つことのできない霊的気候に、私たちの一人たりとも置くことはない。私たちをどこに植えても、恵みの流れを送って元気を回復させてくださる。だから私たちの環境がどうであれ、神に従う生き方をすることができるのだ。
私たちを取りまく罪の夜の闇が深ければ深いほど、私たちの生活や行いから流れ出る光は、ますます明るくゆるぎのないものとならなければならない。
J・R・ミラー
人々の行いの先にある、行いすべてを管理する力に目を向け、好意であろうと迫害であろうと、助けであろうと妨げであろうと、主から来るものすべてを受け入れることを学んできた人は幸いだ。
そのような人は、この世の混乱と騒動の只中で、またサタンの力が存在していても、全き平安を得る秘訣を獲得している。
エドワード・デネット