神は存在するすべてのものの第一原因(最初の源)であり、無限で、永遠、自存の存在として聖書に啓示されている。このことはさらに簡単に言えば、神が存在しなかった瞬間はなかったということである。
「山々が生まれる前から、あなたが地と世界とを生み出す前から、まことに、とこしえからとこしえまで、あなたは神です」(詩篇90:2)とモーセが主張している通りである。
つまり神は永遠に、無限に(初めも終りもなく)存在しているということである。神は天と地にある創造されたものすべてより先に、それらのものと無関係に存在しておられる。
神はただひとり不死を保ち、近づきがたい光の中に住み、人間の中でだれも見た者がなく、見ることもできないかたである。ほまれと永遠の支配とが、神にあるように、アーメン。
1テモテ6:16
※ この聖句は神がその被造物とは異なる独立したお方であることを表している。これは神が人間であれ天使であれ、霊であれ物理的なものであれ、造られた何よりも高くはるかに越えておられるという意味である。
神と造られたものとの間には著しい区別があるが、神は世界や人類の歴史の中に存在し、活動しておられる。このことの最大の証拠は、御子である神が「人となって、私たちの間に住まわれた」ことである。
それは神に対する私たちの罪の代価を完全に支払うために、ご自分の完全ないのちを犠牲としてささげるためだった。その犠牲によって、キリストの赦しを受け入れ、人生をゆだね、キリストを信じる信仰を持って生き続ける人々は、罪と霊的死から解放される。
神は人格を持つ存在であり、「ご自身のかたちとして」アダムとエバを創造された方として啓示されている。神はご自分に似せて(愛やそのほかの特性を反映して)男と女を創造されたので、神と交わり神に応答することができた。
神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。
創世記1:26
※ 男も女も神の「かたち」に「似せて」造られた。それは愛と人格を反映させている髪との独特な個人的関係を、持つことが出来るということを意味している。アダムとエバは神に似た姿を持っていた。そして霊、精神、感情、自己認識、選択する能力を備えた人格的存在として創造されていた。
神はまた道徳的存在で、すべてのものを罪のない良いものとして創造された方として啓示されている。創造の働きを終えたあと、神は造られたすべてのものを見て「それは非常に良かった」と言われた。
アダムとエバは神のかたちに創造されたので罪がなかった。エバが誘惑に応じた時に、罪は人間存在の中に入ってきた。サタンは蛇を用いてエバをそそのかし神の喜ばないことをさせようとした。それが誘惑だった。こうしてアダムとエバはともに神の命令を無視して神に逆らうほうを選んだ。
このようなわけで、ひとりの人によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死がはいってきたように、こうして、すべての人が罪を犯したので、死が全人類にはいり込んだのである。
ローマ書5:12