朝日新聞の夕刊に「日々是修行」という花園大学の先生の連載記事がある。
少し以前になるが、「小乗は大乗より狭量か」という題のものがあった。
釈尊の教えを守り、修行を続ける僧たちが、そのうち「自分ひとり悟りを得れば良いという阿羅漢たち」になってしまったのが、小乗仏教で、釈尊がなさった、自分の悟りを、また、その方法を、他の人に教え、会得してほしいという「衆生済度」世の中のすべての生き物を救おうとするのが大乗仏教だ、というのが、私を含め、一般の考えのようですが、、、、。
先生は、小乗とは、この世に神秘・奇跡などない普通の世界であり、その前提で修行し悟りを開くのであり、大乗とは、神秘作用を信じそこに救いを求めていく世界だ、と述べておられる。
また、神秘性を信じにくい、現代のような時代には、小乗の教えもまた、人生の貴重な道しるべ、とおっしゃっている。
そういうことなんですかね。
小乗は修行のみならず、他への教えもなされていたんですね。あくまで、合理性を保ってです。
それが、サンガ内だけでなく、外に出て、托鉢などでも発心をうながす活動をしていたんでしょうね。
ただ、効率が悪かったってことでしょうか。
そのため、菩薩行といった、専業化、仏に対する帰依のすすめ、密教のように宗教性が濃くなるとか、「身・口・意(しんくい)」がバラバラになり、念仏、禅などの宗派が生まれるなど、神秘性、絶対性などをからめ、発心の機会を高め、効率よく?「衆生済度」を行っていったのが大乗ってことでしょうか。
そう考えると、なんか、大乗ってなんかせこいような感じもしてきますね。
先生の連載で、尼僧がいなくなったというお話も最近ありました。ひとりの僧、尼僧が生まれるためには、10人の僧、尼僧の推選のようなものが必要との戒律があるそうなんです。
尼僧には10人の尼僧の推薦が必要なため、ある時、尼僧の総数が9人以下になって以来、尼僧がいなくなってしまった国があるそうなんです。先生は、時代に合った解釈も必要ではないかとおっしゃっていました。
以前に、戒律が厳しい、小乗仏教の国で、お釈迦様は、酒は禁じたが、タバコは禁じなかったといって、僧がタバコを吸っているという話を聞いたことがありますが、それも同様で、お釈迦様の時代になかったタバコですから、応用問題として、時代にあった解釈が必要なんでしょうね。
少し以前になるが、「小乗は大乗より狭量か」という題のものがあった。
釈尊の教えを守り、修行を続ける僧たちが、そのうち「自分ひとり悟りを得れば良いという阿羅漢たち」になってしまったのが、小乗仏教で、釈尊がなさった、自分の悟りを、また、その方法を、他の人に教え、会得してほしいという「衆生済度」世の中のすべての生き物を救おうとするのが大乗仏教だ、というのが、私を含め、一般の考えのようですが、、、、。
先生は、小乗とは、この世に神秘・奇跡などない普通の世界であり、その前提で修行し悟りを開くのであり、大乗とは、神秘作用を信じそこに救いを求めていく世界だ、と述べておられる。
また、神秘性を信じにくい、現代のような時代には、小乗の教えもまた、人生の貴重な道しるべ、とおっしゃっている。
そういうことなんですかね。
小乗は修行のみならず、他への教えもなされていたんですね。あくまで、合理性を保ってです。
それが、サンガ内だけでなく、外に出て、托鉢などでも発心をうながす活動をしていたんでしょうね。
ただ、効率が悪かったってことでしょうか。
そのため、菩薩行といった、専業化、仏に対する帰依のすすめ、密教のように宗教性が濃くなるとか、「身・口・意(しんくい)」がバラバラになり、念仏、禅などの宗派が生まれるなど、神秘性、絶対性などをからめ、発心の機会を高め、効率よく?「衆生済度」を行っていったのが大乗ってことでしょうか。
そう考えると、なんか、大乗ってなんかせこいような感じもしてきますね。
先生の連載で、尼僧がいなくなったというお話も最近ありました。ひとりの僧、尼僧が生まれるためには、10人の僧、尼僧の推選のようなものが必要との戒律があるそうなんです。
尼僧には10人の尼僧の推薦が必要なため、ある時、尼僧の総数が9人以下になって以来、尼僧がいなくなってしまった国があるそうなんです。先生は、時代に合った解釈も必要ではないかとおっしゃっていました。
以前に、戒律が厳しい、小乗仏教の国で、お釈迦様は、酒は禁じたが、タバコは禁じなかったといって、僧がタバコを吸っているという話を聞いたことがありますが、それも同様で、お釈迦様の時代になかったタバコですから、応用問題として、時代にあった解釈が必要なんでしょうね。