2025年 人権侵害、社会問題 42
2025年4月5日
今まで支配者側がルールを作ってきた意味は、私をルールに従わせて行動を制限させるだけでなく、国民にルールを浸透させて、それに従わせて国民を支配する、という所にあるのだろう。
ルールを破ると苦しいペナルティを与える意味は、支配者側の言う事を聞かないと、私(E.A)みたいになるという見せしめの意味があったのだろう。
2006年以降でも、インターネット上で私とコミュニケーションが出来ないようSNS等で根回し作戦が行われ、それなりにルールも決められていた、と推測出来る。
2010年、2011年以降のエレキングにしても、ルールを作る為の演技だったと考える事が出来る。
2010年のWeb版ele-kingの記事(砂原良徳)以降は、私自身のブログの更新が出来なくなり、ネット上で自分の事やその他について書く事が相当難しくなってしまっていた。
2011年以降、水戸内原AEON内書店(ele-king予約)の経緯は、私に落度がある、という事になっているが、何故駄目になってしまったか論理的に考えると、意味が不明な処がある。
私の行動次第だったとはいえ、被害者が身元を明らかに出来ないようなルールを作る作戦だったのではないか、と考える事も出来る。
但し、エレキングに関して、最初から出来レースだったと断定出来ない処もあるだろう。
当時の国民の反応を見る限り、どういう事か分かってない人も多かったと思われる。
又、この事がきっかけで私の人生が一変したのだから、リスクマネジメントやその他を考えてもエレキングの責任は大きいだろう。
いずれにせよ、国民は支配者が作ったルールがある世の中と無い世の中どちらが良いかを考えて欲しいと思います。
私以外の被害者がどんどん増えて、国民がルール等によって普く支配される世界を想像してみて欲しいと思います。