人生の割が孤独、孤立。それでも、尚、慣れない。無愛想。そうしていれば、うっとおしいことは起こらない。助けて欲しいときは、誰もおらず。助けなんぞいらない時は、媚を売ってくる。まらない、まらない。自分にはなんらかの付加価値がないと、売れない。容姿、若さ、金、女。それがない時は、このざまだ。それでも、アキバみたいに殺したいとは、思わない。あれは、殺戮だ。殺人じゃない。ただの子供が泣きじゃくって、甘えてるだけだ。人を恨み、人を憎み、その先になにがあるのか。それは、生きる意志。死んでやるもんか、おまえらの思うとおりになってやるもんか。復讐。復讐だ。今はただ、そのために準備してるだけだ。おまえはバカだ、と言われようと。おまえはダメだ、と言われようと。病気のせいになんぞ、しない。自分より頭のいいやらはたくさんいるが。偏差値60の自分が、偏差値30程度のおまえらに、負けるわけがないだろう。病気で色んなもん失って、すがれるのは、その数値だけ。これは未来。完治すれば、それだけの勉学、知識、知恵が手に入るだろうという希望。今はひたすら耐えるだけ。クズどもに。負けない。孤独に。負けない。バカどもに。負けない。病気に。負けない。殺人への誘惑に。負けない。負けない。負けない。負けない。
父はスキー選手。母はフィギュアスケート選手。2人ともオリンピックに出たことあるくらいの選手だ。そもそも2人はオリンピックで知り合い結婚したのだった。その子供が僕である。名前は氷室一ひむろはじめ。両親ともにオリンピックでは銀メダルで終わってしまったので、金メダルという一位にこだわり、息子には一番になってほしいという意味を込めてけられた。僕はすごい遺伝子を受け継いでいるのだ。種目は違うが、サラブレットみたいなものである。小学校の頃のあだ名は氷室ーでした。名前の一をのばし棒にされて、ひむろーって叫ばれているみたいな。幼い頃から冬のスポーツであるスキー、スボ、スケートなどは全て教え込まれた。住んでいるのが北海道だったので、環境は抜群だ。やはり遺伝子というのはすごく、どの競技でも僕は一番になった。両親は大喜びだ。僕は喜んでもらえるならと、必死で辛い練習にも取り組んだ。その姿勢のおかげで、勉強でも一番になった。努力するという才狽ェ備わっているのかもしれない。それからは何事でも一番でなくてはいられなくなった。ケンカでもなんでも。努力すればなんでも一番になれた。しかし、絶対に一番になれないものがあったのだ。ある意味一番かもしれない。まりビリだ。それは人を笑わすこと。僕は何を言ってもまらないみたいで、僕で笑った人を見たことがない。悔しかった。初めての挫折。その時ふと思った。両親のせいだと。父はスキー選手。母はフィギュアスケート選手。スベルことに関してのスペシャリストなのだ両親は物心いた時からスキーやスケートをスベッテきた。遺伝子はウィンタースポーツの才ではなく、まらない才のほうだったのだ。ひむろーってあだ名も、ひむろって文字がスベッテるように見えてくる。嫌だこんな遺伝子嫌だこれからの人生スベッテ、スベッテ死んでいくのは嫌だー僕はお笑い養成所にも行ってみた。でも全然ダメ。お笑いのビデオもたくさん見た。友達にマネて見せてみた。すごい流行っているはずの阿藤快のなんだかなも僕がやるとウケない。スベッテしまう。どうすればいいのか分からなくなった時に、養成所の奴に両親が違えば、こんなにスベルこともなかったかもな両親が違えば両親がいなければ。両親を殺してしまおう。僕の心の中ではこのような3段落ちになっていた。そうなってからは一刻も早く両親を殺してしまいたくなったので、すぐさま実行に移した。僕は家に帰り、両親を、こんなにもスベッテしまう僕を産んだ両親を殺した。僕が包丁を両親に向けた時に両親は冗談だろと顔が笑顔になっていた。僕にはそう映っていた。僕のしたことでスベッテいない喜んだのもかの間、両親は僕の足下で人生を終えていた。涙が止まらなかった。いも喜んでくれた両親。選手に育てたかったのに養成所に行かせてくれた両親。スベッテも笑顔を絶やさなかった両親。僕にとって、両親がスベテだったんだ。