札幌聾学校の日本手話の保証の訴えが棄却されたというニュースをみました。
そして、日本手話を含む手話で対応しているという事らしいです。
何?
日本手話を含む日本語対応手話ってこと?
それって、英語を含む日本語って言ってるのと同じですよね。
"イングリッシュをスタディーします。"
これを英語とは言いません。
日本語の文章を、単語だけ英語に置き換えただけ。
この文章は、英語圏の方には通じないのは明らかですよね。
でも、この文章の使い方で、英語圏の人たちに勉強を教えることは、合法だという判決って事なんでしょうか??
全てを理解することはできない、日本語対応手話で学びなさい、という判決。
世間が日本手話を言語と認めてない証拠…
じゃあ、手話言語条例って何なのでしょうか。
今日、私は娘が通うろう学校の小学部1年2年の参観をしてきました。
担任の先生は、大きな声に手話を付けた、日本語対応手話です。
1年生は、声で会話する子ばかりなので、授業は成り立ってました。
2年生は、声の会話が難しい子と出来る子が混在していました。
集中して授業に取り組んでいたのは、声で会話する子。
目から情報を得る子は、退屈そうにしていました。
当てられても、見当違いな事を言っていて、授業内容を理解していないのは明らかでした。
先生は表情も動かず、淡々と授業を進めている。
そして、その子がよそ見をしている時、声だけで名前を呼んで注意を促していました。
きっと、この子は、授業が日本手話だったら、楽しく授業が出来るんだろうなって思います。
この担任の先生は、普段だったら、大人のろう者と声を止めてスムーズに会話してるのに…
参観中、幼稚部の先生に、お母さんの1人が質問していました。
日本語って耳から入らないと獲得が難しいんですか?
先生は、耳から入らない分、教える必要があると言っていました。
その時は、その答えになんか違和感があるけど、何が違和感なのか分かりませんでした。
しかし、今分かりました。
耳から日本語が入らなくても、日本手話の環境が保証されていれば、意味が分かり、日本語や英語に訳して、他言語を理解できると思うんです。
日本手話さえあれば…
私の娘の学年は、5人みんな聾です。
みんな、声で会話が出来ません。
でも2人はデフファミリーなので、日本手話で話し、先生との会話もスムーズに見えます。
他の3人は、日本語も日本手話も入っていない、言語を持ってない状態です。
年長さんで、このような状況で、小学部1年になった時、誰が担任をするのか。
声が必要ない子どもたちに、声付き日本語対応手話で教えるのか…?
日本語対応手話でもいいから、声を止めて、手話に専念してくれるのか…
聴者だったら、声出ちゃいますもんね。
結局、先生は伝えたつもり、教えたつもり、やる事をやるだけ。
ついていけるか、いけないかは、子どもの能力次第という事になる。
成績にもつながる。
公立のろう学校が、日本手話で学べる日は、まだまだ遠そうです。
そのために娘に何をしてあげたら良いのか、ますます模索するばかりです。