声優のオーディションでは、その人柄も重要な審査ポイントのひとつです。

年功序列が未だ厳しい世界ですので、しっかりとした挨拶をすることができて、新人らしく周りに気がつかえるかどうかなども見られています。

やはり、チームで作り上げることが多いですから、協調性を持ってやっていけそうなのかというところも見られています。

そして、審査の際は、外見も重要視されるので、それなりに気をつかいましょう。

大きなオーディションですと、メディアに顔写真などが出ることもあるので、あまりにも外に出せないような容姿の人は受かりません。

そして、そのオーディションのキャラクターに合っている服装をしていくのが、審査員的には高ポイントだそうです。

自分がいかに、そのキャラクターに向いているのか、それを審査員にアピールしていきましょう。

服装で、簡単にアピールできるので、これを使わない手はありません!

応募写真の服装も、そうするといいと思いますよ!
声優として、あこがれの役や仕事を勝ち取るためにはオーディションに合格がまず先決となります。

そのために日頃からのボイストレーニングや演技力を磨くために日常生活やから様々なものを吸収していく努力は継続して行う必要があります。

オーディション参加者は膨大であり、またその中の短時間でいかに自分をアピールできるか、配役に向いた演技ができるか、「こういった声をで演じてください」などのオーダーにしっかりと対応できるかなど様々な面での選考が行われます。

アニメやゲームなどの仕事の場合は特に書類選考やオーディションが日常的に行われており、大御所とされるベテランであっても、若手に混じってそれらの選考会に参加している事も少なくありません。

事務所に所属していれば、マネジメントを行ってもらえる、所属さえして入れは定期的に仕事が与えられる、といった、甘い環境や業界ではないのが現状であると言われています。

憧れの作品の世界の登場人物に魂を吹き込むという、作品の価値を左右する重要な仕事であるため、それ相応の覚悟と根性が要求されることになります。
声優オーディションに必ずといってもいい程ついて回るのが「写真同封」、最近はWEBでの応募も多いので写真データ添付でも可能ですね。

どちらにしても写真スタジオ等、プロに撮影してもらう事を推奨します。

家の壁が白いからそこで取れば大丈夫じゃないかと思う方も沢山いると思います。それでも、プロに撮影してもらうという事は光の加減も最適な環境であり、カメラも良い物、ベストな貴方を写し出してくれるのです。

オーディションで審査してもらう物ですから少しでも後悔の残らない1枚を先方に送りたいですよね。

今は家庭用のデジカメでもかなり綺麗な写りで撮れますが、やはり比べると一目瞭然です。

検索すると安価なスタジオもありますし、オプション料金でデータディスクを購入できる所もあります。

それでもスタジオでの撮影は少し躊躇してしまう。

そんな気持ちもわかります、それでも大切なオーディションの一歩を少しでも前へ踏み出す為に勇気を出してみませんか。
最近人気のある声優という職業ですが、審査方法は、直接監督の前で演技するものから原作者のテープ審査まで様々あり、その作品や監督、スタッフなどによって大きく違います。

しかし、どんなオーディションにも共通して大切なこととは、自分が受けようとしている役に、自分の演技の雰囲気が合っているかどうかです。

どんなに演技が上手でも、作り手側の意図しているものと違う役作りで臨んでしまった場合、「イメージと合わない」ということで、選んではもらえません。

このとき重要なのは、「声が合っている」ではなく、「イメージが合っている」という点です。

もし、声だけ聞いてみたときに違和感があったとしても、アニメというのは総合芸術ですから、絵や音楽、台詞の内容など、声以外のものにも、大きく印象を左右されます。

ですから、もしオーディションを受けるということになった場合は、どんな声で演技しようかとは考えず、自分の役は、一体どういう役で、どういう演技が求められているのか、それをよく考えてから臨むようにするべきです。
声優のオーデイションに合格するためには、ただ台本どおりに読むことではありません。

俳優の演技論に「スタニスラフスキー理論」といわれるものがあります。

彼は「三人姉妹」、「かもめ」などで有名なロシアの劇作家チェーホフと同時代に活躍した俳優兼演出家で、スタニスラフスキーが書き残した膨大な演技論は、世界各国に影響をおよぼしました。

日本の演劇は、このスタニスラフスキー理論が主流だともいわれております。

スタニスラフスキーは、その登場人物の状況に自分を置き換えるべきであることを強調しております。

たとえば、「恋人を失って悲しい」という状況を演じる場合、実際に最愛の人を失ったことを想定して演じるということです。

この演劇の手法は、声優にも応用できるものです。心身ではまったく悲しみを感じていないのに、声だけ悲しそうにつくっても、観客は見破ってしまいます。

上辺だけの表現がつくるシラジラしさは、妙に鼻につくだけでしかありません。