同中
毎月会館で行われる同時中継ですが、2~3ヶ月ほど行っていません。
そろそろ来月あたり行っとくか・・・
土日をはさんで行われるため、主人と一緒に行くということになっており唯一サボれる行事だからです。
主人も積極的に行くことはなく、こっちが誘えば行くって感じです。
基本的にはせっかくの休みということもあり、めんどくさいようです。
同中に行くときいつもわざと遅れていきます(セコイ)。
時間どおりに行くと、一時間以上も退屈な話をきかなくてはなりません。
同中に外部の人を連れて行ってドン引きされたと、というようなことをたまに聞きますが、
そりゃそうだろ
内部の私ですらドン引きなんだから。外部の人はドン引きカーニバルに決まっています。
内容はといえば日顕宗と山崎なんとかの悪口、悪口・・・あとは覚えていません。というか何言ってるのかよく分からない(笑
池田氏の喋り方とか全然尊敬できないんだけど、学会員の人はなぜあんなに尊敬できるのか理解不能。
毎月やんなくていいです。
マイ聖教
私はマイ聖教はおかしいと思っています。
一人一部といい、一世帯で3部も4部もとっている人もいます。
しかも珍しいことではなく、マイ聖教をしてる学会員はとても多いです。
一人一部って、別に同じ家に住んでるんだからまわし読みすればいいと思います。
普通、一般の人にとって同じ新聞を2部以上取るって考えられないことです。
学会には上からの打ち出しもあって何にでも数字(ノルマ)があります。
折伏、新聞、選挙はもちろん座談会などの行事も参加率をパーセンテージで出して何十パーセント以上参加させるとかあるようです。何々展等の催し物もノルマ達成のため学会員は何度も同じ催し物に足を運ぶみたいです。
学会員は目標と言い張りますが結局はノルマです。
本当に目標なら達成できなかった分は仕方ないってことになると思いますが、マイ聖教してでも数字を達成しようとします。とにかく数字主義です。
私はこのノルマが大変イヤです。
新聞啓蒙だって本来は外部の人に新聞を読んでもらい学会への理解を深めるもののはずなのに
(まあ、理解が深まるとはおもえませんが)マイ聖教やって何の意味があるんでしょうか?
折伏にしても本来その人を思う気持ち、幸せになってもらいたい等の真心が大切だと思うのですが、ノルマがあるため、数字達成のための折伏となっていることが多々あるとおもわれます。
功徳
私はなんでもかんでも功徳に結びつける学会員の考え方が嫌いです。
婦人部のある方は昔美人になりたいと願って唱題したところ、
一重まぶたが二重になったそうです。
・・・なんだかなぁ~。
私は唱題で願いが叶ったことがありません。
これは私の見解ですが、何かいいことがあったとしてそれは唱題しようがしまいがおこったことだと
思うのですが・・・