テレビ(今はもうYouTubeなどが主流かな?)や雑誌のコマーシャルなどで頻繁に見聞きする"寄り添う"と言葉。
自分でもブログや他のSNSなどでこのひと言を使うとなんだか凄く良い事を綴ったみたいで、思わずニンマリしちゃったりするのですが、最近は鼻につくようになり、あえて外すワードのひとつとなりました。
寄り添う、、、かぁ。
確かに、自分の周りでまさに今、SOSを出している人がいるなら、(お役に立てるたてないに関係なく)スッと手を差し出しますし、見える範囲でも(物理的にも)、見えないところからでも(精神面においても)、その人の隣にたって共にその先を見つめ歩んで行こうとすることは出来ると思います。
ただそれが、その人のためにしてあげている、、、というものであるならば、それはただの自己満足で、"寄り添う"ということではないような気がします。
今、まさにパリでオリンピックが開催されていますが、講道館柔道の創始者で、柔道の父と言われている、嘉納治五郎氏の言葉に「精力善用 自他共栄」というのがあります。
「精力」は心と体をあらわし、「善用」は良い目的のために使うこと。
そして「自他共栄」とは自分だけではなく、他の人たちと助けあいながら、より良い社会を創っていく、ということなのだそうです。
自分がこの世界に生を与えられたことに感謝しながら、社会や周りの人たちに対して、自らの心の持ちよう(志)や行い、生き方がどうあるべきか、、、を最期の時までそれぞれが、それぞれのやり方で、思いっきり追求し、全うしていくこと。
言葉にするのは簡単ですが、日々の生活の中ではなかなか気付けなかったり、意識しすぎるとかえって身動きがとれなくなってしまうなど、けっこう難しく捉えちゃったりすることがあると思います。
でも難しく考えることはないと思います(^^)。ただひとつ忘れてはならない事は、この可能性は、目には見えない大きな存在(神様?)からどの人も平等に与えられているのだ、ということ。
なので、素直に自分が日々思っていることを大事にしながら、自分の人生の軌跡の中で、時には走ったり、歩みをとめたりしながらも、ちらりと横を覗いた時に、この同じ歩みが「隣人」にもあるのを覚え、共に歩んでいくことが、本当の意味での「寄り添う」ということへの一歩なんじゃないかな?と思います。
「愛神愛隣」という言葉があります。(母校の標語)自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ。
でもこれは一方的なものではなく(私→あなた)、自分の周りにいる人たち(隣人)を愛するように、あなた自身をも愛しなさい(私→私)の両方向、「共に」という大事なメッセージが含まれていることに、この歳になってようやく気がついた💧🐌ニキヤなうです。
あ~💧まとまらなくてすみません💧
色々と、混沌とした時代ではありますが、共に歩んで生き抜いて行きましょう!(^^)☆
あなたも、わたしも、、、。
「愛神愛隣」
「精力善用自他共栄」
これらの建学の精神には、私も息子も本当にお世話になりました。
改めまして感謝です✨