(数時間前から、「いいね」が出来ませんね💧アメブロさんの方の不具合と思われます。コメントも一部反映されないみたいです。皆様の方はいかがでしょうか?)

↑あ!18時15分ごろから出来るようになりました!(^^)☆

良かった!です!


本文↓


阪神・淡路大震災から今日で29年が経ちました。

神戸三宮の東遊園地には、灯籠でかたどられた「ともに」の文字が闇の中に浮かび上がっているのを(オンタイムで)テレビ画面を通してみておりました。


大阪府の北部に住んでいたものの、当時、昭和の初期に建てられた木造家屋を借りて住んでおりましたので(子供たちは「トトロの家」!と呼んでいました(^^))震度6(弱か強か?は、忘れました💧)の揺れで家の土壁が全て崩れ落ち、水回りも壊れてしまい、住めなくなってしまいました。(一瞬、ダンプカーが門扉に突っ込んだのか!?と思うほどの衝撃を感じました。)


2階で家族4人が川の字になって寝てましたので、怪我をすることなく皆無事だったのには本当に感謝したのですが、1階に降りてみると、テレビが元にあったところから落ちていたり、割れた食器が土壁が崩れた上に散乱したり、、、と、言葉を失うほどの光景が目前に広がっていて、呆然としたのを、今でもしっかり覚えています。


一体何処が震源地なのだろう?と2階の窓から(窓枠も歪んでいて開け辛かった)東に見える六甲山方面を眺めたら、ものすごい煙が神戸の方であちらこちらで上がっているのを目にしました。


これは大変なことになった!と家中の窓やドアを開けて庭に出たら、今度はガスの臭いが。。。

火をつけたら大変なことになる、、、と、あわてて子供たちに服を何枚も着せて、すぐに近くの主人の実家に送り届けました。

ありがたいことに鉄筋コンクリート造りの主人の実家は、少し家具や食器が壊れただけで無傷でした。(←この後、同居させてもらうことになりました(^_^;))


ま、その当時の状況を書くとキリがないのでここまでにしますが(長文でスミマセン💧)あの日、6000人をゆうに超える方々が亡くなられ、また神戸周辺の街が廃墟に近いものとなった時からの今にいたる復興は(心の面ではまだまだ辛くていらっしゃる方がおられるとは思いますが)奇跡に近いものがある、と、感じています。


あの時、そこにいた全ての人が物理的にも精神的にも辛い状況に放りこまれたと思います。自分のこれからの生活だけでも精一杯だったと思います。

大事な家族や友人を失くされた方々の悲しみや絶望を私も肌で感じました。

その方々にかける言葉さえも見つからず、人間の無力さに絶望を感じました。


でも、何とか今の状態を皆で力を合わせて良い方向へもっていけたら、、、と、祈るとともに、積極的に動いていこうとしていました。

どのかたもその点では同じ気持ちでいたと思います。


人間は、自然のもたらす大きな災害の前では無力そのものですが、小さなアリのような存在ではあっても、その個々の気のエネルギーがひとつとなった時、自然もビックリするぐらいの力を発揮することが出来る!と、私は信じたいです。いえ、信じています。


あの自分も巻き込まれた震災の後も日本では、今回の石川の大地震のような大災害が起こっているのが、辛い現実ではありますが、亡くなられた方や、被災された方々のことを自分のこととして受け止め、ともにこの状況を乗り越えていけたら、、、と、祈りながら、気持ちを前に向け、毎日を過ごしているニキヤなうです。

微力ですが、今自分に出来ることをコツコツやっていこうと思います。


あの日から29年目の、1・17に寄せて。。。