4月、新春だねえ。
小学校やなんかはピカピカの1年生が満開なんだろう。
社会人の世界でも、多くの職場に新人が配属されたんじゃないかと思う。
僕んところでも、リクルートスーツの男女が緊張した面もちで挨拶に回ってたよ。
去年の新人君たちがいっちょまえに先輩顔で色々教えてやってるのがほほえましかったな。
まあ、新卒の新人というのは一人前にするまでに手間がかかるということで、ベンチャー企業なんかでは即戦力の転職者だけで回しているところも多くなっているようだけど。
やっぱ、組織のDNAみたいなのはプロパー育ちがある程度いないと醸成されづらいし、毎年まっさらな人材を入れて新陳代謝をするのは長い目で見ればよいことだと思う。
僕の前の会社はバブル崩壊の後、新人採用を数年間見送った時期があるんだけど、それが後々色んな面でボディブローみたいに効いてたもんなあ。
そういう新人の育成が劇的に成功して、今でも新人発掘がお家芸になっている例が漫画界にある。
いわずと知れた週間少年ジャンプだ。
1968年隔週誌として創刊、69年週間誌化。
創刊号の発行部数は10万5千部。 それがみるみるうちに急成長して、ピークの1995年には、漫画雑誌の最高発行部数記録653万部を達成した。
その後いっときマガジンに発行部数が抜かれる時期が続いたけど、2000年代に入って再び首位の座を奪還して今に至っている。
この漫画雑誌界の王者も最初は寂しい船出だった。
なにしろ、当時はマガジン、サンデーの両雄、それに追随したキングという3大雑誌が有力な漫画家をがっちり押さえていた。
なので、新参者のジャンプはマイナーな作家しか使うことができなかった。
一番象徴的なこととしては、1960年代の漫画界において神様と仰がれていた手塚治虫、それに飛ぶ鳥を落とす勢いだったトキワ荘グループ、これらの作家をジャンプは使えなかった。
僕が知る限り、その後ある程度力を蓄えた時期、さらに絶頂期もジャンプはこれらの昭和の大家たちを一切使うことがなかった。
では、どうしたのか。
新人を徹底的に鍛えて、それらの大家たちを超えるヒットメーカーに育て上げたんだ。
漫画というものは、ヒットするにつれて連載が長くなる。
そうすると、作家の実力がぐんぐん向上しているのが一つの作品の連載の中で如実にわかるケースが出てくる。
特にその作家が新人の場合、そうしたケースが起きやすい。
で、そうした例はジャンプに圧倒的に多いんだ。
4つばかり代表選手をあげてみよう。
最初は創成期のジャンプを永井豪の「ハレンチ学園」と共に牽引したこれだ。
「男一匹ガキ大将」の本宮ひろ志。
僕は小学生の頃の連載開始当時、この作品を無視していた。
なんか聞いたことのない作家だし、画も物語りもダサいしという感じでね。
それが床屋の待合でたまたま単行本を手にしてぶっとんだ。 あれは万吉が特少を出所して西の番長たちを統合すべく、九州、四国、中国地方に子分たちを派遣する編だった。
で、JPコミックスを読み漁ることになったわけだけど。
7巻の東光特等少年院の編の辺りで本宮の画力が一気に向上したのが見て取れた。
いわゆるブレイクスルーという奴だ。
そこから全国の番長を統合する霊峰富士の編までの画の迫力はまさに半端じゃなかったよ。
二つ目はこの作品と作者。
「ど根性ガエル」の吉沢やすみ。
1970年代前半の中学生時代、僕は「男一匹ガキ大将」とこれの二つを読むためにジャンプを買っていた。
この作品は、一人の作家のライフサイクルみたいなものが凝縮されている点でも特筆されるべき存在だと思う。
最初は勃興期。 連載初期の頃は未熟ながらも新人らしく筆に勢いがあって、それが魅力になっていた。
次が円熟期。 JPコミックスでいうと10巻辺りからかな。 画に安定感が出て、ギャグ漫画の大家の雰囲気すら出てくる。
最後が衰退期。 連載末期の頃はねえ、はっきりいってスカスカになっていたと思う。 僕は当時は吉沢やすみは売れっ子になって手抜きをしてるんじゃないかと思ってたけど。
実際は気力、体力ともに限界にきていたのに、編集の方針で連載をやめさせてもらえなかったというのが真相だったようだ。
ジャンプという雑誌は新人の発掘で漫画界に巨大な足跡を残しているわけだけど。
無理やり連載を延ばしたり逆に切ったり、あるいは作家に専属契約を強要したりと、かなりえげつないというか負の側面も抱えていることも確かじゃないかと思う。
三つ目の例はこれ。
「SLAM DUNK」の井上雄彦。
これもねえ、最初はヘタだった。
なんだこれ、ヤンキー漫画か、俺ヤンキー漫画は嫌いなんだよって感じで無視してたんだけど。
その頃、息子らが小学校のバスケット、いわゆるミニバスをやっててね。
そのチーム内で圧倒的な人気を誇っているということで、息子が友達に借りてきたのを読んでみてぶっとんだ。 なにこれ、すげえ面白れえ!
井上の画力もJPコミックス7巻の不良軍団VS桜木軍団の抗争の辺りからぐんぐん向上してきてねえ。 最後の山王工業戦のところなんか感動の嵐だった。
最後はこれ。
「ヒカルの碁」の小畑健。
小畑は連載開始の当初から相当な画力を持っていたけど。
連載が続くにつれて、さらにぐんぐん画が巧くなっていった。
棋士たちの佇まい、美男美女の描き分け、ひょうきんなじじぃ(桑原本因坊)やイヤミなおっさん(座間王座)などなど。 巧いなあと思ったよ。
ということで、うちの職場の新人たちも頑張ってもらいたいものだ。
じゃあ、自分らロートルは精進しなくていいのかというと、勿論そんなことはない。
漫画界でもベテランが一つの作品の連載の中でさらに力を高めていった例はしっかりある。
昭和の例でいうと、この二人が代表選手だと思う。
「あしたのジョー」のちばてつや。
ちばはこの連載を始めた頃には、貸本時代を経て「ハリスの旋風」や「紫電改のタカ」のヒットにより売れっ子作家としての地歩を固めていた。
で、連載当初の画はそれらの作品の延長線上にあった。
矢吹丈なんか、石田国松の兄貴みたいな顔だちだったからね。
それが力石徹が死んでしまった辺りから画風が変わってくる。 顔面を打てなくなって、ドサ回りに落ちぶれる辺りからだ。
で、カーロス・リベラが廃人になったKCコミックス14巻から、ちばの画力は入神の域に入ったというのが僕の見立てなんだ。
もう一人がこの人だ。
「男組」の池上遼一。
池上も貸本やガロ時代を経て、「ひとりぼっちのリン」がそこそこに売れて画風も確立していた。
で、僕は「男組」の連載がサンデーで始まった当初はあんまり読んでなかった。
大体、「男組」というタイトルからして暑苦しい。 池上の画もそれにお似合いで暑苦しさがぷんぷんしてる感じだったんでね。
それが連載の後半から画が洗練されてきて、風通しがよい感じになってきてね。
物語り自体も読ませる展開になってねえ。 いっぺんにハマッたわけだ。
池上遼一は「男組」で確立した画風をさらに「I飢男」でブラッシュアップすることにより、1970年代後半の劇画界の頂点を成したと思っている。
じゃあ、現代漫画界で旬な作家には、こういう発展途上を見せる作品はあるだろうか。
勿論、ある。 これまた代表例を二つあげると。
最初はこれ。
「バガボンド」の井上雄彦。
井上は「SLAM DUNK」の連載中に画力を格段に向上させた。
作品自体もメガヒットした。
普通はそこで確立した画風でもって生きていくんだけどね。
「バガボンド」で更なる高みを目指していってる。
あの墨による日本画の世界はねえ、もはや実写を超えているよ。
日本漫画界の歴史上、実写を超えたといえる二人目じゃないか。
小学校やなんかはピカピカの1年生が満開なんだろう。
社会人の世界でも、多くの職場に新人が配属されたんじゃないかと思う。
僕んところでも、リクルートスーツの男女が緊張した面もちで挨拶に回ってたよ。
去年の新人君たちがいっちょまえに先輩顔で色々教えてやってるのがほほえましかったな。
まあ、新卒の新人というのは一人前にするまでに手間がかかるということで、ベンチャー企業なんかでは即戦力の転職者だけで回しているところも多くなっているようだけど。
やっぱ、組織のDNAみたいなのはプロパー育ちがある程度いないと醸成されづらいし、毎年まっさらな人材を入れて新陳代謝をするのは長い目で見ればよいことだと思う。
僕の前の会社はバブル崩壊の後、新人採用を数年間見送った時期があるんだけど、それが後々色んな面でボディブローみたいに効いてたもんなあ。
そういう新人の育成が劇的に成功して、今でも新人発掘がお家芸になっている例が漫画界にある。
いわずと知れた週間少年ジャンプだ。
1968年隔週誌として創刊、69年週間誌化。
創刊号の発行部数は10万5千部。 それがみるみるうちに急成長して、ピークの1995年には、漫画雑誌の最高発行部数記録653万部を達成した。
その後いっときマガジンに発行部数が抜かれる時期が続いたけど、2000年代に入って再び首位の座を奪還して今に至っている。
この漫画雑誌界の王者も最初は寂しい船出だった。
なにしろ、当時はマガジン、サンデーの両雄、それに追随したキングという3大雑誌が有力な漫画家をがっちり押さえていた。
なので、新参者のジャンプはマイナーな作家しか使うことができなかった。
一番象徴的なこととしては、1960年代の漫画界において神様と仰がれていた手塚治虫、それに飛ぶ鳥を落とす勢いだったトキワ荘グループ、これらの作家をジャンプは使えなかった。
僕が知る限り、その後ある程度力を蓄えた時期、さらに絶頂期もジャンプはこれらの昭和の大家たちを一切使うことがなかった。
では、どうしたのか。
新人を徹底的に鍛えて、それらの大家たちを超えるヒットメーカーに育て上げたんだ。
漫画というものは、ヒットするにつれて連載が長くなる。
そうすると、作家の実力がぐんぐん向上しているのが一つの作品の連載の中で如実にわかるケースが出てくる。
特にその作家が新人の場合、そうしたケースが起きやすい。
で、そうした例はジャンプに圧倒的に多いんだ。
4つばかり代表選手をあげてみよう。
最初は創成期のジャンプを永井豪の「ハレンチ学園」と共に牽引したこれだ。
「男一匹ガキ大将」の本宮ひろ志。
僕は小学生の頃の連載開始当時、この作品を無視していた。
なんか聞いたことのない作家だし、画も物語りもダサいしという感じでね。
それが床屋の待合でたまたま単行本を手にしてぶっとんだ。 あれは万吉が特少を出所して西の番長たちを統合すべく、九州、四国、中国地方に子分たちを派遣する編だった。
で、JPコミックスを読み漁ることになったわけだけど。
7巻の東光特等少年院の編の辺りで本宮の画力が一気に向上したのが見て取れた。
いわゆるブレイクスルーという奴だ。
そこから全国の番長を統合する霊峰富士の編までの画の迫力はまさに半端じゃなかったよ。
二つ目はこの作品と作者。
「ど根性ガエル」の吉沢やすみ。
1970年代前半の中学生時代、僕は「男一匹ガキ大将」とこれの二つを読むためにジャンプを買っていた。
この作品は、一人の作家のライフサイクルみたいなものが凝縮されている点でも特筆されるべき存在だと思う。
最初は勃興期。 連載初期の頃は未熟ながらも新人らしく筆に勢いがあって、それが魅力になっていた。
次が円熟期。 JPコミックスでいうと10巻辺りからかな。 画に安定感が出て、ギャグ漫画の大家の雰囲気すら出てくる。
最後が衰退期。 連載末期の頃はねえ、はっきりいってスカスカになっていたと思う。 僕は当時は吉沢やすみは売れっ子になって手抜きをしてるんじゃないかと思ってたけど。
実際は気力、体力ともに限界にきていたのに、編集の方針で連載をやめさせてもらえなかったというのが真相だったようだ。
ジャンプという雑誌は新人の発掘で漫画界に巨大な足跡を残しているわけだけど。
無理やり連載を延ばしたり逆に切ったり、あるいは作家に専属契約を強要したりと、かなりえげつないというか負の側面も抱えていることも確かじゃないかと思う。
三つ目の例はこれ。
「SLAM DUNK」の井上雄彦。
これもねえ、最初はヘタだった。
なんだこれ、ヤンキー漫画か、俺ヤンキー漫画は嫌いなんだよって感じで無視してたんだけど。
その頃、息子らが小学校のバスケット、いわゆるミニバスをやっててね。
そのチーム内で圧倒的な人気を誇っているということで、息子が友達に借りてきたのを読んでみてぶっとんだ。 なにこれ、すげえ面白れえ!
井上の画力もJPコミックス7巻の不良軍団VS桜木軍団の抗争の辺りからぐんぐん向上してきてねえ。 最後の山王工業戦のところなんか感動の嵐だった。
最後はこれ。
「ヒカルの碁」の小畑健。
小畑は連載開始の当初から相当な画力を持っていたけど。
連載が続くにつれて、さらにぐんぐん画が巧くなっていった。
棋士たちの佇まい、美男美女の描き分け、ひょうきんなじじぃ(桑原本因坊)やイヤミなおっさん(座間王座)などなど。 巧いなあと思ったよ。
ということで、うちの職場の新人たちも頑張ってもらいたいものだ。
じゃあ、自分らロートルは精進しなくていいのかというと、勿論そんなことはない。
漫画界でもベテランが一つの作品の連載の中でさらに力を高めていった例はしっかりある。
昭和の例でいうと、この二人が代表選手だと思う。
「あしたのジョー」のちばてつや。
ちばはこの連載を始めた頃には、貸本時代を経て「ハリスの旋風」や「紫電改のタカ」のヒットにより売れっ子作家としての地歩を固めていた。
で、連載当初の画はそれらの作品の延長線上にあった。
矢吹丈なんか、石田国松の兄貴みたいな顔だちだったからね。
それが力石徹が死んでしまった辺りから画風が変わってくる。 顔面を打てなくなって、ドサ回りに落ちぶれる辺りからだ。
で、カーロス・リベラが廃人になったKCコミックス14巻から、ちばの画力は入神の域に入ったというのが僕の見立てなんだ。
もう一人がこの人だ。
「男組」の池上遼一。
池上も貸本やガロ時代を経て、「ひとりぼっちのリン」がそこそこに売れて画風も確立していた。
で、僕は「男組」の連載がサンデーで始まった当初はあんまり読んでなかった。
大体、「男組」というタイトルからして暑苦しい。 池上の画もそれにお似合いで暑苦しさがぷんぷんしてる感じだったんでね。
それが連載の後半から画が洗練されてきて、風通しがよい感じになってきてね。
物語り自体も読ませる展開になってねえ。 いっぺんにハマッたわけだ。
池上遼一は「男組」で確立した画風をさらに「I飢男」でブラッシュアップすることにより、1970年代後半の劇画界の頂点を成したと思っている。
じゃあ、現代漫画界で旬な作家には、こういう発展途上を見せる作品はあるだろうか。
勿論、ある。 これまた代表例を二つあげると。
最初はこれ。
「バガボンド」の井上雄彦。
井上は「SLAM DUNK」の連載中に画力を格段に向上させた。
作品自体もメガヒットした。
普通はそこで確立した画風でもって生きていくんだけどね。
「バガボンド」で更なる高みを目指していってる。
あの墨による日本画の世界はねえ、もはや実写を超えているよ。
日本漫画界の歴史上、実写を超えたといえる二人目じゃないか。