AKB、NGT時代のことにも触れています
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Interview
日中合作映画『安魂』はカルチャーショックの連続で視野が広がった 北原里英


日中国交正常化50周年の2022年。日中合作映画『安魂』で、日本人として唯一キャスティングされた北原里英。自身にとっても初の海外作品となる本作の撮影エピソードや、AKB48時代の葛藤、役者として活動しようとしたきっかけなどを中心に話を聞いた。


初めての中国ロケで中国語の発音に苦戦


――『安魂』は日中合作映画ですが、日本人キャストは北原里英さんだけです。オファーを受けたときは、どんな気持ちでしたか?

北原 ロケで中国に行く約1ヶ月前にお話をいただいたんです。準備期間が短い上に、全編中国ロケでセリフも全部中国語で正直「大丈夫かな?」という思いはありました。ただ私には常に追い込まれたいみたいなものがあるので、全力で挑戦させていただきました。

――AKB48在籍時代から、よく北原さんは海外に行かれていましたよね。

北原 当時は海外担当と自分で言ってたくらいで(笑)、「Japan Expo(ジャパン エキスポ)」があったら、ほぼ100%行ってました。

――そのときに中国語を話す機会はあったんですか?

北原 「ニーハオ」「シェイシェイ」といった挨拶や「あけましておめでとうございます」「お年玉ください」は、そのときに言えるようになりました。でも言えるのはその程度だったので、準備期間の1か月で中国語教室に通って猛特訓して撮影に臨みました。

――中国語教室の成果は現地で発揮できました?

北原 会話は全然伝わらなかったです(笑)。やっぱり1か月程度だと、最低限レベルの言葉と、セリフしか覚えられませんでした。現地でのコミュニケーションは英語でした。ただ、『安魂』の撮影が終わった後も、そのまま中国語教室に継続して通い続けました。現地に2週間滞在して中国語に耳が慣れていたこともあって、かなりしゃべれるようになりました。

――現地の役者さんと呼吸を合わせながら演技するのはいかがでしたか?

北原 難しかったです。台本は読み込んでいたので、相手が何を言っているかは理解できますが、完璧には分からないんですよね。あと発音に一番苦しめられました。ほとんどアフレコだったので、1日のシーンを撮り終わった後、その日のうちにホテルでオンリー録り(※一人でセリフを録音すること)がありました。実際の撮影では、相手の俳優さんと対面しているので流れで言えたことが、一人では言えなかったりして、オンリー録りの時間は本当に大変でした。感情を込めると発音も変わりますし、正しい声調じゃないと中国語は伝わらないんです。毎回追い込まれていましたが、張爽役のルアン・レイインに教えてもらって助けられました。


――初めて『安魂』の台本を読んだときは、どんな印象を受けましたか?

北原 中国の文化が色濃く出ている場面が多くて、日本人からすると馴染みがない部分もありました。ただ根本は家族愛の話なので、初めて台本を読んだときからしっかり理解できました。家族愛の話だけではなく、そこにサスペンス的な要素なども入ってくるので、そのバランスもいいなと思いました。



――重厚なテーマですが、北原さん演じる日本人留学生の星崎沙紀はポジティブな性格で、緊張感を緩和する役割も果たしていました。

北原 沙紀は訳の分からないまま事件に巻き込まれて、大事な局面に立たされますけど、めちゃめちゃおせっかい焼きで、自ら見知らぬ人のトラブルに介入していきます。実際、私も初めて中国で映画の撮影を経験して、よく分からないけど、なぜかそこにいるというような状況に近かったんです。私自身、おせっかいなところがあるので、おそらく沙紀と同じ状況に置かれたらやりすぎちゃうタイプという気がするんです。なので、自分自身が持っているマインドで行けたところがありますし、沙紀の行動も理解できました。そこがうまくマッチして演じられたのかなと思います。



日中何もない広場があっという間に夜市になった
――役者として海外で仕事をしたい気持ちはありましたか?

北原 海外で仕事をすることは考えたこともなかったです。でも今回の作品で、とても視野が広がりましたし、たくさんのカルチャーショックを受けました。多少は中国語を理解できるようになったので、今後も中国語を学んでいきたいですし、その一環でWeibo(ウェイボー)も始めました。2022年の目標は中国語の勉強です!



――日本での撮影との違いはありましたか?

北原 日向寺太郎監督を始め、日本人スタッフが6人いらっしゃったので、アフレコ以外はそれほど変わらなかったです。ただ現場の進行が緩いのが面白かったです(笑)。たとえばお昼休憩で日本では「40分後に撮影再開!」みたいな感じで時間はきっちり決まっています。でも中国では時間を決めず、ごはんを食べ終えてくつろいでいると、いつの間にか撮影が始まっているんです。

――和気あいあいとした雰囲気だったんですね。

北原 撮影部の若手たちが参加した食事をする機会があって、私も参加させてもらったんですけど、中国での食事会で一番楽しかったです。まだコロナ禍前でしたし、みんなで一つの卓を囲んでポケトークを使ってお話をして、終始和やかな雰囲気でした。国境も年齢も越えた感覚があって、とっても素敵な会になりました。


――映画の舞台となった開封市はいかがでしたか?

北原 私の中で開封市は日本でいうところの滋賀のような雰囲気です。小京都というか、古き良き街並みで、中国の昔ながらの建物も多くて、景観をすごく大事にしているので、街を歩いているだけで楽しかったです。




――夜市でのシーンが美しくて印象的でした。

北原 実際の夜市でロケをしたので、夜になるのを待って撮影しました。日中は何もない広場だったのが、夕方になると、どこから来たの?っていうくらい多くの屋台が急に集まってきて、あっという間に夜市の風景になって、『千と千尋の神隠し』みたいでした(笑)。そこの屋台でも、見たことのない食材たちが並んでいて、どんな食べ物か分からないので怖いんですけど、そういう雰囲気も楽しかったです。



AKB48に入る前から芸能界以外の進路を考えたこともなかった
――学生時代どのように進路を決めたのかお伺いしたいのですが、AKB48に入る前から、役者の道は考えていたんですか?

北原 ずっと女優になりたいと思っていましたが、周りに言うのが恥ずかしくて言えませんでした。高校1年生の後半になると、志望大学や文理選択があったんですが、私は他にやりたいことや得意教科もなかったので「AKB48」って書きました(笑)。AKB48に入る前から、芸能界以外の進路を考えたこともなかったです。

――結果的にAKB48グループに10年在籍しました。

北原 こんなに長くいるとは思わなかったです。もともと歌もダンスも自分にできると思っていなかったんです。でもやってみたら、歌もダンスも楽しくなって。グループを卒業するときに一番悲しかったことは劇場に立てなくなることでした。



――AKB48時代も、一番やりたかったのは演技だったんですよね?

北原 そうです。AKB48の活動も楽しいけど、もっと演技にも力を入れたくて両方の想いとの闘いでした。もっと演技の経験も積みたいし、AKB48でしか出来ないこともたくさんあって、制服を着てお芝居をしたかったので、葛藤を抱えている時期がありましたね。

――それでも長くグループに在籍した理由は何だったのでしょうか?

北原 23歳くらいの頃は、総選挙も入れないし、選抜も入れない。とにかくくすぶっていたので、正直辞めたい気持ちが強かったです。でも24歳くらいのときに、「もう制服は無理かも」って感じてから踏ん切りがついたというか(笑)。せっかく頑張ってやってきたのに、このタイミングで辞めたら、結果が出せないから卒業したんだと思われるだろうなと。だったら、もう一回頑張ってみようと思いました。あとお仕事でも転機があったんです。

――どんな転機でしょうか?

北原 当時から大好きだった園子温監督の手がけたドラマ『みんな!エスパーだよ!番外編 〜エスパー、都へ行く〜』(2015年)に呼んでいただきました。突然のお話で、「えっ?いいんですか?」って。でも大きな夢が一つ叶ったし、とても刺激的で楽しかったので、「女優をやりたい!お芝居やりたい!」モードになりました。それで事務所の人と卒業について話し合っていたときに、秋元先生から連絡が来て「新潟に行きませんか」とNGT48のお話をいただきました。

――NGT48は立ち上げから関わる訳ですから、すぐに帰ってこられないですよね。

北原 そこはすごく考えました。行くとなったら、グループを一人前にするためには少なく見積もっても2年はいることになるだろうなと。アイドルとしては、だいぶ年上だったこともあって、かなり悩みましたが、結果として新潟に行って本当に良かったです。当時何もグループに恩返しできてない状態でAKBを辞めようって思っていたところ、新潟に新しく姉妹グループを作ることになって。私はゆきりん(柏木由紀)と一緒にオーディションから携わって、一からグループを作って、どんどん盛り上がっていったので、多少なりともグループのために何かできたかなと思えました。NGT48でキャプテンをやったことで、自分の中でも成長できたという達成感もありましたし、デビューから10年経ったタイミングで卒業させていただきました。


――卒業して、すぐに気持ちを切り替えることはできましたか?

北原 NGT48の子たちが本当に大好きだったので、一人は寂しかったです。でも卒業して、すぐにいろんなお仕事をさせていただいて、気づけば一人に慣れていました。

――最後に進路を検討しているティーンにメッセージをお願いします。

北原 誰しも進路は悩むと思います。私の場合は早くから進路が決まっていましたけど、その道が決まっていなかったら、かなり悩んでいたと思います。でも焦って決めなくても、なんとかなります。周りにいろんな仕事をしている人がいるので話を聞いてみても、みんな普通に転職をしています。同じ職業や業界でも、会社を変えることはザラにあることです。だから進路に迷っている子は、今決めた進路が一生物じゃないと気楽に考えて、まずは今の気持ちに従えばいいと思います。好きなことだけど生活が苦しいってなったら、そのときにまた考えればいい。将来を考えて安パイを取るんじゃなくて、やりたいことをやって大丈夫です。





北原里英
女優

1991年6月24日生まれ。愛知県出身。AKB48 グループのメンバーとして活動した後、2018 年に卒業。つかこうへいの名作舞台『「新・幕末純情伝」FAKE NEWS』や映画『サニー/32』(2018年)に主演するなど、数多くの舞台、ドラマ、映画に出演し、女優として着実に経験値を重ねる。本作では全編中国語の台詞に挑戦し、俳優としての新たなステップに踏み出したことを感じさせる。