幸せ心始めましょう

幸せ心始めましょう

良い心の積み重ねが豊かな人生を作ります。良い心とは?考えてみませんか!

No 41

みなさん!こんにちは😊

いつも読んでいただき有難うございます。

 

今回は若きリーダーの貴方にお話ししたいと思います。

私は30歳の頃、ある職場のリーダー任命されたことがありました。

8人ほどの職場でしたが、

私より年下は二人だけでした。

 

そんな中でのリーダーという立場、

色々悩みの多い毎日だった思い出があります。

 

そんな時、二宮尊徳の伝記に

「芋こじ」についてのエピソードが載っていました。

それは、ある農村を建て直すために用いた手法でした。

そこの農民たちは労働意欲が低く、

村も疲弊していました。そこで尊徳は「芋こじ」

と名付けた話し合いの場を設けました。

 

 

「芋こじ」とは、里芋などを樽に水と共に入れ、

木をX状にした道具でかき回す農作業の一つです。

何度か水を変えれば、

芋は傷つかず泥が取れて綺麗になります。

 

それを話し合いに例え、農民たちの意見を聞く場にしたのです。

民主主義などの概念もない時代、

最初は上手くいきませんでしたが、

回数を重ねていく内にやがて田植えの時期を迎えます。

 

怠け者とは言っても、

時期が来れば田植えをしなければなりません。

田植えに大事なのは、

まずは田んぼに水を引くことです。

ここで、誰の田んぼから水を引くのかで

言い争いが始まりました。

当時は「水争い」という言葉もあるように、

水は農民にとって死活問題です。

皆が自分の田んぼから水を引くよう主張しました。

正に「我田引水」の言葉そのものですね。

 

しかし、話し合いの回数を重ねていく内に、

農民たちは気が付くのです。

「自分の田んぼだけに水が引けても仕方ない。

村全体が豊かにならなければ」と。

そこから、どのようにしたら効率的に

水を引けるのか話し合い、作業を始めました。

 

しかし、

地形上どうしても水の回らない田んぼが出てきます。

それまでの農民達であれば自分の田んぼに戻り

作業始めるのですが、今回は違いました。

なんと村人たちは、皆で天秤棒を担いで水を運び

その田んぼを潤した、というエピソードです。

「芋こじ」が農民の心も磨いたと言う事でしょうか。

 

私もこのエピソードを参考に月に一度の

ミーティングを始めました。

やはり始めは上手くいきませんでしたが

意外と早く成果が出て来ました。

 

長くなりますので今回はここまでとします。

次回は私の経験等を含め、ミーティングの

大切さについてお話ししたいと思います。

今回も読んで頂きありがとうございました。

 

毎週火曜日午前中に更新予定です。フォローやいいね等よろしくお願いします。

 

No40

こんにちは。今回は我が家の不登校児、

弟(現在48歳)の話をしたいと思います。

 

そもそも、不登校の始まりは

「お兄ちゃんが行かないなら僕も行かない」

と言って始まった不登校なので、

深い原因が有っての事では有りませんでした。
そのためか、親としても少し余裕を持って
見守れていた様な気がします。

 

その後、兄が中学入学をきっかけに登校し始めてからは、

一人で家にいるのがつまらなかった様です。

本人も中学校の入学式が待ち遠しい感じで、

中学校から登校を始めました。

 

長男は物事を真面目に考えロマンチックなタイプですが、

次男は何処かさめたと言うか、クールな感じのある性格の子です。

 

6歳下に妹がいるのですが、

後々、妹がこんな思い出話をしてくれた事が有りました。
妹がまだサンタクロースを信じている頃、

お兄ちゃん(次男)からサンタクロースなんかいないと

論理的に説明されて、涙が出るほど悲しかったと言い、

今では笑い話しになっています。
夜中に娘の枕元にプレゼントを置いた親の苦労は何だったのでしょうか(笑)。

 

ちなみに、私も次男として育ったので少し似ている気もします。

私の兄は公務員を定年まで勤め上げたのに対して、

私は脱サラしての自営業と言った感じです。

 

そんな次男ですが、中学から高校卒業迄一日も休まず、

遅刻もしませんでした。
高校卒業の時は「無遅刻無欠席」の小さな盾を記念品として戴き、

私の宝物の一つになっています。

 

高校生の何年生か忘れましたが、39度の熱を出した時、

流石に私は「今日は休め」と言いましたが、

「うん、大丈夫」と言って出かけて行った時は、

帰って来るまで心配でした。

 

そんな、こんなの不登校兄弟でしたが、今では家庭を持ち、

それぞれ可愛い男の子の孫を一人づつ見せてくれて、

それなりに親孝行をしてくれています。

 

何か、不登校克服の成功話の様に思われたら、

現在進行中の人には申し訳無い気もしますが、

私も四十数年も経ってお話する事が出来ています。

 

前の記事(No32)でお話しましたが、今思えばあの時の、
「学校なんて行かなくて良い、

俺が生きてる限りここに住まわせ、食わしてやる」
の覚悟が良かったのかな等思っています。

それと「生きてるだけで100点満点」

の想いも良かったのかなとも思います。

 

どうかお子様を信じて見守って頂きたいと思います。

親の心配過ぎは子供を不安にすると思います。

 

先ずは体の健康を優先して頂ければと思います。

お子様が健康で生きていてくれる。

その事に感謝して頂ければと思います。

 

今日はここまでにいたします。またいつか、

兄弟の高校卒業後のお話し等したいと思います。
 

最後まで読んで頂き有難う御座いました。

 

毎週火曜日午前中に更新予定です。フォローやいいね!等よろしくお願いします

No39

みなさん、こんにちは😃
読んでいただき、ありがとうございます。

 

今回は「名前」について考えてみたいと思います。

人は誰しも名前を持っています。

それは、名前を付けてくれた人、

つまり「名付けの親」がいるということですよね。

多くは両親や祖父母だと思います。

 

みなさんも、お子さんの名前をつける時には、

たくさん悩んで時間をかけられたのではないでしょうか。

 

「どんな人生を歩んでほしいのか」

「どんな幸せをつかんでほしいのか」

 

など、たくさんの願いや祈りを込めて

付けたのだと思います。

ということは、私たち自身も、

そうやって温かい願いを込めて

名前をつけてもらったということですよね。

 

私が小学生の頃、ある宿題がありました。
それは
「自分の名前の由来や、付けられた理由を聞いてくる」

というものでした。

私は帰宅後、早速両親に尋ねました。
両親は、私が生まれた時の様子や名前が決まるまでのいきさつ、

そしてどんな願いを込めたのかを嬉しそうに教えてくれました。

他のきょうだいの由来も一緒に聞くことができ、

なんだか誇らしく、嬉しく思ったのを今でも覚えています。

翌日の教室では、

クラスメイトたちがみんな嬉々として

自分の名前の由来を発表していました。

もちろん、私もその一人です。

 

日常のなかでテレビを見ていると、

毎日さまざまな番組でたくさんの人が出演し、

その名前が字幕で紹介されます。

どの方も、本当に素敵な名前ばかりです。

 

しかし時には、

残念ながら事件の容疑者となってしまった人の

名前が放送されることもあります。

決して悪い名前ではありません。むしろ、

どれも響きや漢字の素晴らしい、よい名前だなと感じます。

その名前をつけたご両親の当時の気持ちを想像すると、

胸が締め付けられるように痛みます。

 

もちろん、名前通りの人生を歩むことは

簡単ではないかもしれません。

それでも、容疑者となってしまった人も、

かつては誰かに愛され、

祈られてその名前を授かったのだということに、

思いを馳せてほしいなと願わずにはいられません。

 

みなさんも、改めてご自身の名前を見つめてみてはいかがでしょうか。
もしもご両親がご健在なら、改めて由来を聞いてみるのも良いかもしれません。

また、ご自身のお子さんと「名前の由来」

について話し合ってみるのも素晴らしいことです。

 

名前の原点に立ち返ることで、何か心に変化が生まれるかもしれませんね。

 

今回はここまでとします。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

毎週火曜日午前中に更新予定です。フォローやいいね等よろしくお願いします。