暗闇の1995年12月以来ずっと、モントリオール・カナディアンズには大きな穴がぽっかり開いていた。人がこれをセント・パトリックの呪いと呼ぶのなら、カナディアンズがパトリック・ロワを放出したことで、自ら暗黒時代を延長させたことは否定できない。モントリオールのファンにとって、パトリック・ロワはスーパースター・ゴールテンダーである以上に、彼がこのチームでプレイしている間、彼がモントリオール・カナディアンズであったのだ。彼がチームを去ったその日、他の何かもチームから離れたようだった。ロワが去って以降、プレイオフでの成功はほとんどなく遠のいたものになり、カナディアンズがかつて称賛されていた伝統と神秘的雰囲気は、それから12年続く平凡なシーズンによって僅かに減少した。
この12年の間、カナディアンズとファン、マネジメントはずっと抱えている問題の見つかりにくい答えを探していた。彼らは次のパトリック・ロワを探すだけでなく、かつて所属していたゴーリー(ロワ)を連れ戻そうとしていた。
束の間の輝かしいシーズンの間、彼らは自身の目の前に広がっているものが答えだと感じていた。2002年の春はサク・コイヴの癌からの感動的な復帰もあって、カナディアンズとファンにとって劇的な時期であった。チームは5年振りにプレイオフ進出を果たし、モントリオールの復活を感じさせた。
この成功のカギとなる要素は、25歳で地元育ちのゴールテンダー、ジョゼ・セオドアだった。セオドアはモントリオールのファンにとって新顔ではなく、6年前に初めてチームでプレイしており、時折垣間見せる輝きはひどく一貫性を欠いているにも関わらず、皮肉にも2001年にアイランダース戦でゴールを挙げたことでよく知られる存在となる。
しかし彼は2001-02シーズンの間を通してスターターのポジションを争い、セオドアは失点率がリーグ4位、セーブ率はリーグトップでシーズンを終えた。プレイオフではファーストラウンドで好調ボストンを破る見事な番狂わせを演じるなど、モントリオールを勝利へ導いている。
このシーズンの活躍で、セオドアはヴェジナとハート・トロフィーを受賞することになる。セオドアはHabsにとってガイ・ラフラー以来初めてのリーグMVPとなり、パトリック・ロワ以来初めてトップゴーリー賞を地元に持ち帰った。皮肉にも彼と2つのトロフィーを争った選手の一人は、唯一無二の存在、パトリック・ロワだった。
2002年6月20日のこの日、ロワは最終的に落選したことにイライラしているようだった。ここにチームを栄光へと導き、そしてこの40年で史上二人目のハート・トロフィー受賞ゴールテンダーとなった新しいヒーローが誕生した。これはセント・ロワでも成し遂げられなかった記録である。
この時は誰も予想していなかったが、この救済は一時的なもので、ファンとチームが見たものは現れたと思ったらあっという間にモントリオールから去ってしまった彗星のようなものだったのである。そして今日に至るまで、彗星が全く知られることなく消えたのはミステリーとなっている。
成功はセオドアにプレッシャーを増加させた。彼はチームの看板選手となり、カナディアンズのスーパースターであることに疑いの余地がなかった。彼はカナディアンズの偉大なゴーリー血統における生まれながらの成功者、どのホッケー・フランチャイズにもいない次代の伝説的なゴーリー候補としての役割を担わされたのだ。この他にも周囲の視線や責任が加わり、彼に新しいプレッシャーがのしかかることになる。
2002-03シーズン、カナディアンズとファンは次のステップへ進むことを期待していたが、あいにくそれは後退のステップとなった。MVPを受賞したセオドアは失点率が4位から36位に落ち込み、リーグトップだったセーブ率は1年後、22位まで転落したのである。スター選手のこのパフォーマンスによって、カナディアンズのプレイオフチャンスは絶望的となった。
翌2003-04シーズンは、セオドアとカナディアンズにとって復調のシーズンとなる。セオドアは2年前の調子を取り戻したようで、13勝だった勝利数はキャリアハイの33勝まで増加し、リーグ5位タイという十分な成績を収めた。失点率は11位、セーブ率は9位と、こちらも良い成績だった。この見事な復活は、シーズン終了後に無制限フリーエージェントとなる彼にとって重要な時期となった。
彼の人気はプレイオフでの勇敢なプレイを受けてようやく上がり、カナディアンズは輝かしい歴史の中で初めて1勝3敗から盛り返して、ファーストラウンドで再びボストン・ブルーインズを破る番狂わせを起こした。多くの人々にとってその年最高の偉業は、敵地ボストンでセオドアが挙げた、最終第7戦でのシャットアウトであった。これは明らかに彼のキャリアの中で最も大きな試合で、彼の若いホッケーキャリアの中で最も大きなプレッシャーを背負った極限の状況での試合である。セオドアは成し遂げたのだ。
これは今のところ、NHLにおいて彼が記録した最後のシャットアウトである。
NHLロックアウトにより、ジョゼ・セオドアは2005年秋まで再びカナディアンズでプレイすることはなかった。彼はチームでプレイする前に、新しい契約を結ぶ必要があった。そしてカナディアンズGMのボブ・ゲイニーは、セオドアとカナディアンズ史上最高額となる3年総額1650万ドル(2005-06は500万ドル、2006-07は550万ドル、2007-08は600万ドル)の契約を結んだ。
もし誰かが2005年秋に遡るとしたら、ゲイニーとカナディアンズに対してセオドアと契約更新するようにプレッシャーをかけることを取り消すだろう。そこにはどのチームも欲しがる、そして何年もの間モントリオールの中で最も市場性の高い選手だった、カナディアンズ一のスーパースターがいた。
しかし契約書のインクはすぐに乾き、カナディアンズは大きな間違いを犯したように見えた。セオドアはオフアイスでの出来事に心をかき乱されたようで、氷上で非常に苦しんでいたのだ。
前年に彼の父、叔父、異母兄弟がモントリオールで高利貸し組織を運営していたとして告訴され、セオドアはこの事件に関与していないと認められたが、このことは彼の頭に大きくのしかかることになる。ヘルズ・エンジェルズのクラブハウスを徘徊している写真や、トレーニングキャンプでカメラマンに中指を突き立てている写真が出回り、2月になるとステロイドマスキング剤のテストで陽性反応が出たというニュースが飛び込んできた。彼は処方箋を受けていたのだが、社会的地位に大きなダメージを受けた。長髪だった頃に使用していた育毛剤によるものだとセオドアが全て釈明した後も、それは全て無視されたのだった。
セオドアの芳しくないプレイは、無名のクリストバル・ユエにモントリオールでのスターターのポジションを奪われたように見せた。彼は自身の成績が勝利数が30位、失点率が44位、セーブ率は47位と落ちていく様を見ていた。セオドアは驚くほどの速さで深く落ちていき、契約を2年以上残してランキング最下位のパフォーマンスを見せるリーグトップ5の高額ゴーリーに、モントリオールは行き詰ったのである。
セオドアの悪夢の期間は、オリンピックブレイク期間中に自宅の外で足を滑らせて踵を骨折し、6週間の欠場を強いられた時にどん底を迎える。2006年3月9日、セオドアと大型契約を結んでから僅か7ヶ月後、ゲイニーは実質的にモントリオールのサラリーを取り除くため、コロラド・アバランチとの間でセオドアとデビッド・アービッシャーのトレードを行った。どうやらゲイニーは、セオドアのスランプは改善されそうもなく、彼を欲しがる可能性のあるチームリストが0に近くなる前に、今セオドアをトレードしなくてはいけないと感じたようである。
ジョゼ・セオドア以上に突然失速した事例を思い起こすのは難しい。
最も大きな疑問は、何が起こったのか、である。
1シーズンのNHLロックアウトの後、私達がこれまで見てきたのとは全く異なるジョゼ・セオドアが現れた。多くの人々は防具の変化がセオドアのメルトダウンの原因ではないかと指摘する。ジョゼ・セオドアは特別大きな選手ではない。彼はおよそ180.3cm、82.5kgである。比較という観点から見ると、カナディアンズのスーパー・プロスペクト、キャリー・プライスは190.5cm、100.7kgなのだ。大きな防具にパックが当たることによって、彼はどれだけ成功したのか?
防具の縮小時と膨張時による彼の統計データを描くことは簡単である。避けることのできない一つの事は、セオドアの試合内容の悪さである。セオドアの不正確で、時折失っているように見えるリバウンドコントロールが彼を置き去りにしているようだ。
しかしながら私は、セオドアの抱える問題の回答は、彼の頭の中にあると思っている。今、私はジョゼ・セオドアのことを知っているふりをしているのではなく、これは全て推測なのだが、私にはこれが最も論理的な回答のように思うのだ。
かつてジョゼ・セオドアはモントリオールで成功の絶頂に到達したが、それは転落の始まりであった。もしかしたらカナディアンズの旗頭になるというプレッシャーに対処できなかったのかもしれない。もしかしたら契約が彼を称賛し、彼のエゴが開花したのかもしれない。もしかしたら彼の私生活がプロ生活に影響を及ぼしたのかもしれない。もしかしたら成功によって彼のプレイ意欲が下り坂に向かったのかもしれない。もしかしたら試合内容を変え、そして/または改善する力がなかったのかもしれない。そしてもしかしたら、もしかしたら成功することへのモチベーションは、今まで手に入れたことのない満足感に取って代わられたのかもしれない。
セオドアがかつて見せて一夜で消えてしまった魔法は、まるで旧約聖書の中でサイモンが寝ている間にデリラに髪を剃られ、その怪力を失ってしまったという話のようである。
多くの人々は、環境の変化はセオドアにとって良いことだったと思っていた。少なくともアバランチはそう期待していた。アバランチGMのピエール・ラクロワは、エリートゴーリーを獲得できたことに喜びを表現していた。しかしコロラドがとても落胆したように、彼の試合は改善されなかったのである。
不運なことに、ジョセ・セオドアにとってオフシーズンは静かなものとならなかった。彼の恋人と子供がシックキッズ・ホスピタルにいる間にパリス・ヒルトンと“夜間外出”したことは、驚くほどの性格の欠如を現していたに他ならない。
セオドアにとってコロラドでのこの1年は、物事は悪化の一途を辿る一方だった。鳴り物入りでモントリオールに帰ってきたが、セオドアはモントリオールを埋め尽くしたファンが大喜びする前に、カナディアンズに8失点を許した。
年が経つにつれ、セオドアは彼の540万ドルよりも遥かにサラリーが低く、リーグのゴールテンダーの中で最も安いピーター・ブダイにスターターのポジションを奪われた。セオドアはアバランチのバックアップゴーリーとして過ごし、勝利数が35位、失点率が40位、セーブ率は39位に終わった。
セオドアは果たしてどこへ行くのか。アバランチは間違いなく彼をトレードしたがっているが、この年600万ドル支払われ、統計的にリーグ最低の成績を収めるかもしれないゴールテンダーに興味を持つチームは皆無に近い。アバランチは彼をバイアウトすることも考えたが、さらなるキャップヒットを避けるために、彼を手放さないことに決めた。
シーズン末に契約が切れた時、セオドアはリーグで2番目の高額ゴーリーというポジションを保ち続けることはできないと言って間違いないだろう。彼は相当なサラリーカットに直面するだろうという表現は控えめな方である。セオドアの抜け殻に賭けるチームは現れるのだろうか。
今後セオドアと契約するチームは、彼の電撃的な復活を期待するだろう。そして全てが、セオドアはMVPを獲得した頃のパフォーマンスを取り戻すことは不可能だと表示している時、サイモンさえも以前の怪力を取り戻したことを思い出すのは賢明ではあるが、しかしそれは彼の髪がようやく伸びた時なのである。
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T・C・デノー
記事→HabsWorld 。