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おはなしnanoです。
ちょっと 長くなりました。
最後まで 読んで頂ければ 幸いですm(__)m
「よっちゃん」
よっちゃんはね ほんとは よしこっていうの。
わたしの おともだちで 88歳の おばあちゃんなんだよ。
幼稚園の 園長先生だったんだって。
それでねぇ、私も よしこっていうの。
なかよし幼稚園の 年長さんだよ。
よっちゃんと 名前は おんなじだけど、
よっちゃんは「良子」で、わたしは「美子」だよ。
よっちゃんがね、いつも こう言うんだっ。
「よっちゃんは”美人”で、このよっちゃんは”良い子”なのよね。」
って。
はじめのよっちゃんは、わたしで、
次のちょっちゃんが88歳のよっちゃんだよ。
2人で おしゃべりしていると、
「ねぇ、よっちゃん」
「なあに よっちゃん?」
て、
よっちゃんが いっぱい出て来て
「あら?どっちのよっちゃんだったかしらね~」
そう言って ふたりで 大笑いするの。
わたし、よっちゃん大好きなんだ。
この前はね、
よっちゃんが 幼稚園生の時の お話してくれたの。
フーちゃんっていう なかよしがいたんだって。
今は、遠くにいて
会えないからさみしいって言ってた。
その フーちゃんがね、幼稚園に行くとき、毎朝毎朝
よっちゃんのこと、おむかえに来てくれたんだって。
「よぉっちゃん よぉっちゃん」
って。
すると、よっちゃんは
「ちょっと、まっててネ!」
おへんじだけして、
いつも フーちゃんを 待たせていたんだって。
どうしてかっていうと、ウフフ。
よっちゃんはね、おねぼうさんだったの♪
ほんというと、わたしも おねぼうさんなんだ。
毎日、お友達の ナナちゃんのこと
待たせちゃって お母さんにしかられるの。
「こんな おねぼうさんは 小学生になれませんよ。」
って。
私は、おねぼうのことずっと気にしてたの。
でも、よっちゃんの お話聞いて安心しちゃった。
どうしてかって言うと、幼稚園の時おねぼうさんでも、
よっちゃんは、やさしい園長先生になれたでしょ。
私の夢はね、園長先生になることなの。
今、おねぼうさんでも、
きっと、よっちゃんみたいな園長先生になれるって
分かったからなんだ。
だって、私、よっちゃんによくにてるんだもん。
それでねぇ、お話きいたあと ふたりで、
「寝る子は、よく育つのよねぇ~♪」
って、また、大笑いしたの。ウフフッ♪
m(__)m
ひだまり.H
去年の額紫陽花さん
「よっちゃん」は
宮城に居る頃
次女が お世話になった 幼稚園の 園長先生が
モデルです。
面影が 母にそっくりで 初めて お会いした時
ビックリしました。
次女が 卒園してからも よく 園長先生の お宅に
お邪魔させて頂いて いろいろと お世話になりました。
園長先生の お宅には
素敵なブルーの お花をつける
額紫陽花が あり
ある日 園長先生から その花を
切り花にして いただきました。
あまりにも 素敵な ブルーだったので
挿し木にして 庭で 育てました。
次女の 高校進学と共に 田舎に 帰り
額紫陽花は そのまま 宿舎庭に 残して来ました。
田舎に帰って 3年後の 3.11の震災。
宿舎だったところにも 津波が 押し寄せたことを 知りました。
震災後 数か月経って 宿舎跡を 尋ねてみた所
更地に なっていました。
額紫陽花が
気になって 宿舎の 跡地を 探してみると
なんと 塀と跡地の 隙間から
顔を出していました。
その時は そのままに 帰りましたが
翌年 気になって 再訪。
更に 成長した 額紫陽花に 逢いました。
その姿は なぜか
私を 連れてってと 言っているようで
1本 手折って 連れて 帰って 来ました。
それが
今の ベランダの 額紫陽花さんです。
時は ながれ
季節が めぐるなか
津波を 越えてきた
その記憶を 閉じ込めたまま
ひだまりの ベランダで アジサイブルーの花を
気丈にも 咲かせ続けています。
ひだまりは、毎朝晩 額紫陽花と
挨拶を 交すことで
日々の 元気を もらっています。
アジサイブルーな かなしみは
いつしか
アジサイブルーな やさしさへ
そう願う ひだまりです。。。
今朝の ベランダの額紫陽花さん
今年も
アジサイブルーの 花が 咲きますように。。。
どうぞ
今日の1佳い1日を