心穏やかに

心穏やかに

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私達は親が言うことは正しい、学校の先生の言うことは正しい絶対みたいな環境で育ってきた傾向がある。



昭和の時代は特にそういう環境だった。
そのために自分を出さないようにし、押し殺して生きてきたということもある。

自分を守るためにそして生き延びるために、幼い自分はそうするしか方法を知らなかったのだろう。

大人になっても親のいうことをきいていたり、親の価値観で生きてたりすると本当の自分で生きられなくなり、自分はどうしたいのかもわからなくなったり、生きづらく幸せを感じにくくなっていく。


今の自分にとっていらない価値観または親の価値観も必要でなければ捨てた方が楽になる。


親や兄弟や学校の先生などから、こうしなさい、ああしなさい、時にはそうしなければ罰を受けたりすることもあったり…そんな中で生きていると、こんな自分では駄目だという考えから自己否定をするのが得意になる。


自己否定は自己愛を育てる真逆の行為。


過去を振り返りそういう環境でも生き延びてきた自分を労い認め癒していく。


現在嫌なことがあった場合、その出来事を深く考えていくと過去の出来事で傷ついた自分に遭遇することがある。過去の傷をひとつひとつ丁寧に癒していくと心は軽くなる。


色々な人から受ける否定や批判も、他人は他人自分は自分であると頭ではわかっているはずなのに、自分はこう思うということを他人にわかってもらおうとしてしまう。

結局自分のことをわかってあげられるのは自分しかいないのに。自分が自分を認めていれば他人から認めてもらわなくても良いのだ。


自分の心は自分自身が癒し大切にすれば心は緩むし、幸せも感じやすくなる。


どんな嫌なことを思おうが他人に迷惑をかけなければ自分の味方は自分しかいないことを忘れないようにしていくことこそが自己愛を育てることになっていくのではないだろうか。








人の幸せを喜べない(嫉妬)のは自分の幸せを諦めているからである。


昔の友達と長続きするのは互いの趣味思考が変わらず同じだったり、互いが同じく成長していくことが大切なのだろう。

昔は仲が良かったのに今は…

そう感じるのは価値観がズレてたり、馴れ合いで境界線が曖昧になり、干渉して人の問題に踏み込んだり…モヤっとすること言われたり…

これは夫婦でも有り得る。

夫婦は向き合って話し合えれば改善できるが、友達は常に居るわけではないのでそこまでやらないし離れればいい関係だ。

対等であれば一緒にいれるが、何故か上下関係のようになり上からとかマウントやコントロール…

それぞれ違う環境で違う経験や学びなどで変化していくので無理もない。

互いの価値観のズレがあっても夫婦のように愛があれば理解しようとしたり尊重しようとしたりできるのだろう。

そうできなければ傷つけ合うことになり違和感が大きくなってくると互いのために離れた方が良いだろう。

夫婦関係、友人関係、

互いが互いの幸せを喜べる関係でありたいものだ。

そうあるには自分をとことん幸せにする覚悟。

自分の幸せに責任を持つことが大切なのではないだろうか。



どんな時も自分を信じていると大丈夫だという安心感に包まれる。


自分を信じるということは自分に自信をもつこと。


自信をもつにはどんな自分も認めること。


過去の自分、今の自分、これからの自分を全て認める。

どんな自分も否定しない。


自分が嫌なこと、好きなこと

こうしたい、したくないを自分自身が叶えるためにはどうしたらいいかを考えて叶えていくと自分を信じる力になる。


ひとつひとつ丁寧に。