音楽:マイケル・ナイマン「Love Doesn't End」 絵:シャガール「時に岸なし」
(「夏に会ったひと」(7)からのつづき)
改めて思えば、都会育ちの私にとって、冬というのはさほど厳しい季節ではないのかもしれない。
冬枯れの色彩寂しき自然界とは裏腹に、人間達は冬にこそ案外と賑やかで、忙しくもあれば、暖かで楽しい時間を過ごしていたりするものだ。
クリスマス会や忘年会、お正月の帰省や新年会に初詣、その後はバレンタインなど……冬には家族や恋人、友人達と過ごす行事がやたら多いと思う。寒さの中で、人は他人のぬくもりを求めているのだろうか。
それにしても、どうしてこの季節の只中に1月1日が来るのだろう。
身辺の変化やスタートの日は、たいがいに春に多くて似つかわしい。
真冬の最中では、昨日と今日の自分に指したる変化はやって来ない。
それでも、毎年大晦日の晩ともなれば一年を振り返り、年が明けると新年の希望を思う。
横浜で暮らしていた頃には、除夜の鐘の音に重なって、遠くの港からかすかに届く霧笛を聞くこの夜が好きだった。正月を迎えるために清められた部屋の中にいて、静かに耳を澄ませてそれらの音を聞いていると、いつもより外の空気さえも澄んでいるように感じる。その静謐な時間は冬にこそ相応しいと思ったものだ。
過ぎ去る年を振り返り、次の一年を思うには、真冬こそが相応しい。
春に花開き、夏に成長し、秋には実り枯れ落ちていく。それらの季節を経験した後の冬という季節は、全ての到達であり、同時に次の始まりを秘めた季節と言えるだろう。
そして私は今、現実の冬の中で、人生にも巡る何度目かの冬をも迎えている。
振り返れば、どの季節にも楽があり苦があった。実りもあれば、挫折もし、厳しい寒さを迎えて人の温もりを求めた。後悔をし始めたら切りがない。
それでもなお、いつか再び、私にも「人生の四季」がまた巡るだろうと信じている。
到達は始まりだ。この冬を最後にするにはまだ早い。
何度新しい季節が巡り来ようとも、私は通り過ぎた時間を無くしはしない。
それらの思い出は時を経るごとに曖昧となり、私の雑念と妄想が入り混じる夢となっていくだろう。この今もまた。
惜しむ「時」のすべては私の魂と同化して、やがてこの魂も万物に混じり消える時、私にも「永遠」が見えるのかもしれない。
その日が来るまで、生きようと思う。
-終わり-
煌月
最後まで読んでくださいまして、ありがとうございました。