5月23日(木)。


わたしは職場の昼休憩で、その日はたまたま昼食を食べているときにスマホを見ました。
いつもはスマホを手元に持っていないのですが、その日は昼食前、ロッカーにスマホを取りに行く余裕があったので持っていました。

匠海くんがストーリーズ更新してる!

開いた瞬間、それが特別な意図で投稿されていると知りました。

2時間前になっていたので、午前11時頃の投稿だったのでしょうか。



(沢山のメディアがすぐに取り上げてくださっていましたが、わたしは人伝てで受け取っていないのと、この件でメディアや他のライターさんが上げたものを通したくないので自分がスクショ保存したものを掲載します。時刻も残します。)








匠海くんの書かれている〝何年経っても〟という言葉を読んで、平気なふりをしてきた事実に頭を殴られた感じでした。
具体的なことは書きませんが、匠海くんを傷付ける大きな出来事はありました。
あれが誹謗中傷だとすると、あれは名誉毀損だと思います。そして匠海くんは〝堪えなさい〟と沈黙で闘うように命じられたのでしょうか?
〝強い人の考え〟と言っているなら、匠海くんが自分で考えて出した答えじゃなかったということです。



今回、匠海くんを応援する動き、味方でいる動きや、誹謗中傷をやめるように呼びかける方などたくさんの反響があったのですが、、まだ数日しか経っていませんが、少しの違和感も覚えました。


匠海くんは、私達に自分の言葉を考えるようにと言っています。

誹謗中傷する人に呼びかける前にひとりひとりが自分と向き合うことが先ではないでしょうか?

自分のことを棚に上げているような違和感です。

匠海くんの文章を読んで、あ、自分も言葉で人を傷付けてきたな。あのときもそうだった、あの言葉もそうだったかも。自分も傷付いてきたけど、傷付けてもきた。相手にとっては刃になる言葉を発してきたし書いてきた、、!

こう自覚した人はどれくらいいたのでしょうか?



、、、何せ、スラッシャーにとっては、庭ツアーの4日目である名古屋公演の前日だったもので、時間がなかったのは分かるよ!?笑
いや分かる。匠海くんの前では笑顔でいたいし、一体感のあるライブにしたい。

それでライブは大成功に終わったみたいでよかったのですが、その後この件で大事な部分は、わたしは匠海くんの仰せのままに、、だと思いました。自分の言葉が誰かを傷付けていたかどうか。

そこを向き合わないと、わたしは匠海くんの何を見ているのという話になります。
匠海くんが傷付き続けている件についてここで言及するのは多分主旨が違う。主眼点が違う。
匠海くんはひとりひとりに語りかけてくれていたと思います。わたしも受け取るそのひとりであるべき、反省するべきなのです。








ここからは、興味のある方だけ読んでください。



傷付ける側の事例が読めると思います。






こんな書きはじめですが、わたしが振り返った中で、少なくとも5人の存在を思い出しました。

といっても、10年前までくらいしか振り返っていないですが、オタクとしてブロガーをやって今年で10年でして、それ以前の家族ブログ時代のことなど誰も興味ないと思います。





***





熊本地震のあとに、アメブロで知り合った熊本在住の年上の女の人がいました。

〝ねーやん〟と呼ばせてもらっていました。

わたしは当時、佐藤健さんからくまモンを知り、熊本地震の1ヶ月前に熊本を旅行していました。

仲良くなって、地元の物を送り合ったり、ツイッターのDM機能やLINEも毎日使ってやりとりしていました。

当時のわたしには無理がある付き合い方でした。

わたしはすでに今の職に就いていて、早朝からの勤務もたくさんありました。

でもねーやんは昼からの固定パート勤務で、20時頃仕事が終わって帰宅、やりとりするのは夜でした。わたしは早朝から働いているのに、遅くに帰宅するねーやんを毎晩労い続ける生活。生活時間の違いがわたしには苦痛で、毎日連絡を取り合うという友達付き合いも向いていませんでした。器のちっさい人間です。


ある年の春、熊本旅行に行き、ねーやんが車で阿蘇神社まで連れて行ってくれました。まだ道路が復旧していなくて、迂回ルートで山を越えました。山の上からの景色を今でも覚えています。

他にも何ヶ所か連れて行ってくれました。

長崎次郎書店も行きましたよ。わかる人にはわかる場所。


しかし、わたしはこの熊本旅行のブログを途中までしか書けませんでした。匠海くんだけじゃなくDISH//も推すようになり、わたしのブログ内容が変わって行ったからです。

わたしが熊本旅行を最後まで書かなかったことはずっとねーやんを悲しませていました。

何年か経ち連絡をとる機会があったとき、わたしはねーやんの息子さんの学年を訊いてしまいました。わたしの中では中学卒業までを一緒に過ごし、そのあとの年月がよくわからなくなってしまっていました。膨大な量の仕事をしていたから、、というのがわたしの感覚で、ねーやんと過ごしたのが何年前なのか本当によくわからなくなっていたという最低の結末でした。息子さんの年齢がわからなくなったという傷付け方でした。

本当に最低です。熊本城の完成を一緒に見る未来を描いていたのに。


昨年の8月、熊本に行ってきました。

一人旅でした。ねーやんには許してもらえなくても、わたしは熊本が第二の故郷です。






***






あの、、




これ1人目でして。




思い当たる傷付け歴がまだ4人分続くのですが。


大丈夫かなこれ。




他の方の愛称は出さないです。