SNSで関わりのある人に言われたんです。
だから本当に。
(わたしは)限界以上まで体を酷使しがちだって。
そう言われたときに感じた違和感をずっと考えていました。
考える内に、それが思い出し怒りみたいになってしまいました。
わたしは自分の限界というものを人に決められたくないし、他人の限界なんてわたしは判断したくないです。
ドラマの話になるのですが、「恋つづ」(「恋はつづくよどこまでも」)という大ヒットドラマがありましたね。
最終回間近で、ヒロインの女の子(看護師)が交通事故で昏睡状態になってしまったとき、同期の女の子(看護師)が仕事中に泣きじゃくるシーンがありました。あの涙が何の涙だったのかほぼ全くわたしは共感出来ませんでした。
何泣いてるの?看護師だよね?勤務中だよね?
彼女は生きてるよね?何に絶望してるの?
…科が違うから、昏睡状態の彼女の為に何もしてあげられない!彼女の看護が出来ない!という悔しさと無力感の涙だったのかな…。だとしたら分からなくもないですが。
ドラマはさ…
すぐ泣くシーンを入れてくるけど、泣かれるとリアリティーなくなって作り物に見えてしまう。。
ドクターの前で号泣とかありえないから。
きっと、視聴者の気持ちに寄り添うために登場人物たちはすぐ泣くんだよね。
泣いているほうが人間味感じるんだよ視聴者はさ。
そのドラマの同期の子が泣きじゃくったシーンは、世間のリアル看護師のプロの仕事レベルを下げられたように感じていやでした。
何泣いてるのかほんとに分からなかった。
そのときの不快感に似ているなーーーー。
そう、話を戻しますが。
心配してくれた(といっても傍観されていたに近い)人から見たらわたしは限界来てたんだって。
ないな。
まぁわたしが普段から「がんばる」と言いがちなイメージは持たれていると思います。
それさ、がんばるのは別に普通のことだから。
仕事なんでね。
わたしのチームの人はみんながんばってますよ。
疲れた疲れた言います。普段から。
それが当たり前の日常だから。
かげでスタミナドリンク飲んでます。
疲れた言うわりに案外ケロっとしてます。
そうやって懲りずに仕事行ってます。
みんな国家資格持ってるんでね。
わたしは4月5月とちょっとプレッシャーのかかる仕事をしていました。(コロナとは関係ないです。)
すんごい緊張感とプレッシャーとストレスを抱えていました。
でも(プラスに考えれば)適任だと思われたから行かされていたことは判っているので、やだやだ言っていたわたしに先輩が「自覚を持ってがんばりなさい!!」ってがんばれがんばれ言ってくれたのはうれしかったです。
「無理しないで」とか「ゆっくり休んで」とか言われるより何倍もうれしいです。
別の事をがんばっている方が「お互いにがんばりましょうね」って言ってくれるのもうれしいです。(みたさんありがとうございます!!)
本当に本気で限界以上に見えていたら止めるものだけど、、そうか、、、そういうものなのか。
大丈夫です。
限界超えてません。笑
わたしの限界決めないでほしいです。
自分で決めますから。
わたしにその言葉を言った方がこのブログを目にするかは判りませんけど、、
わたしのつぶやきでした!!
ちなみに記事のタイトルは朝ドラ「エール」で主人公の男の子が小学生のときに先生から言われた言葉です。
吃りで運動が苦手でいじめられがちな男の子が、作曲する課題をやってみたら出来た!という。
窪田正孝さん、好きです。
音楽家の話。
撮影及び放送再開をお待ちしております。
今日は個人的な全く関係ないことを書いて並べたので匠海くんの写真はナシです!!
代わりに仕事帰りに見る景色でも添えておきます。
なんじゃこりゃですみません。
横道から見ることの発見。
違う角度から見ると見えている世界が変わる。
この記事の話も、きっと大多数の方が「そんな風に心配してくれる人がいるのはシアワセだよー、優しいから心配してくれたんだよー」って思うと思うんです。
でもいやだったものはいやです。
気持ちが悪いものを感じたのです。
自分の感じたものを自分が信じないでうわべだけの「心配してくれてありがとう」は言いたくないです。
いやな人間だね。
でもくやしいものはくやしい。
薄っぺらい言葉は吐きたくないし、もらいたくない。
ツイッターにしてもブログにしても、こんなこと書いたりするけどこれからも読むよという方だけがフォローしてくださればうれしいです。
読んでくださってありがとうございました。
感謝。