長渕剛FC会報114号 | 家路の『生きねば!』

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今週 月曜日に届いた長渕剛クラブ会報No.114号です。


前の113号も、バンドメンバーのインタビュー満載で読みごたえ有りましたが、
今回のも、フリーライターとのロング対談。バンドメンバーからの手紙。GYAO!チーフプロデューサーインタビュー。ファンからのメッセージ。
読みごたえ抜群でした!!


フリーライターさんと対談の中で、こんなコメントが有ったんで、一部抜粋したいと思います。 

長渕:「長渕剛」という表現者を客観的に見たときに、これまでのキャリアで、どこを切っても、同じ「長渕剛」ではなかったんですよ。どこを切っても同じアーティストであるというマンネリがない。マンネリって、表現者として大事なものではあります。同じ絵しか描かないという。
だけど、僕は違う。同じ絵を描いてもつまらないんです。だから、違う絵を描き、破り、次の絵を描いていく。トライ・アンド・エラーを繰り返しながら、それを社会の窓枠に投げつける。 そして自問自答を繰り返す。 前回壊したものを、常に次の表現に託して投げていく。そこに面白さがある。変わりゆく自分を、変わりゆく時代に投影してみるとどう映るのかということなんです。そのレスポンスが自分は面白い。
変幻自在に姿を変えれば、そこで頭を打ったり失敗したりすることもある。ただ、「これ何だ!?新しいものを見つけたぞ!」と発見が生まれる。これがないと自分はつまらない。
自分は生ギター一本でスタートしたけど、今、ほとんど生ギターを弾かないですよね。二時間のライブの中で弾くのは2、3曲しかない。
またいつか弾くこともあるんだろうけど、自分が弾いてきたギターさえつまらないという感覚もある。 今の時流から聞こえてくるアコースティックギターは、明らかに僕らの時代とは違う。 それに対して「面白ぇな」と思ったり「くそ!」と思ったりする。 その双方を自分の中に取り込んで、自分なりの表現を探していく。「何、この音?」という引っ張られ方をしたいし、そうやって驚かせていきたい。驚かせる吸引力がないといけない。押し引きができないのに、昔の在庫を処分してます、みたいな音楽しかできないのならば、僕はもう音楽を辞めます。

そして、こう綴ります。

私という生き物、肉体や容姿はやがて滅びる。表現したものは一人歩きしていく。死んでもそれが残るのは恥ずかしいことでもあるんだけど、だからこそ、どんどん上書きしていかなければいけない。どんどん新しいものを取り込んで、今はこれが、正しいと思う、いや、こっちが正しいと思うと重ねていく。
それをいくつ残せるか、という勝負です。表現者は、時代に潰されてたまるかという覚悟を持たなければいけない。表現という刀を持っている以上は、潰されるはずがないんです。
時代に潰されるのは、自分の意思を抑えた表現に甘んじ、時代に迎合していくからです。




長渕剛さんの手掛けた歌の中に「人生はラララ」というタイトルがあります。
その歌詞の中に「生まれ変わるなら生きてるうちに」と、唄われているんですが、まさに剛さん本人の生き様を投影してますね!
変わらないモノを否定する訳じゃなく、自分はそれじゃない! 変わっていく時代に自分も新たな自分にチャレンジしていく。
そこに良さを感じました。
長渕剛 62歳。枯れないですね!この人は。


来年の活躍も楽しみです!