育った環境がその後の人生に大きく影響を与えていくものですね。

 

人は良くも悪くも与えられた環境で、育ってこなければ大きくなれない。

 

過酷な環境もあれば、愛情いっぱいで育てられる環境もある。

 

どんな環境であろうと、子は逃げることはできない。

 

自分の足で抜け出す力を持つまでは。

 

たとえ抜け出せたとしても、環境から得られたものはつきまとう。

 

果たしてどんな環境で育ったら幸せになるのだろうか。

 

その答えは、皆無であった。

 

今日まで生きてきて、そんな人に出会わなかった。

 

どんなに過酷であろうと、愛情を受けてきたとしても、幸せは自分でつかんでいくしかない。

 

歳を重ねてそう思う。

 

では、自分に与えられた環境は何だったのだろうか。

 

私の場合、愛和な家庭ではなく憎しみが充満していた

 

抜毛にも苦しんだ

 

死と隣り合わせのときもあった

 

幸せになりたいと思っても、環境に目を向け批判している間は、足を引っ張った

 

考え方、受けとめ方、人間不信、人が怖かった、閉じこもるしかなかった。

 

当時、手を差し伸べてくれたのが、入院したときの看護師だった。

 

ただ手を取り、黙って受け止めてくれた。

 

ただただ、涙があふれてきたことを思い出す。

 

はじめて生きようと思った。

 

そして心の中で家族との決別を決心した。

 

与えられた負の環境を自分の中から消しさり、新たな、環境を自ら作ろうとおもった。

 

今、思うと、それって当たり前のことだったんだよね。

 

いずれ子供は親から巣立っていく時がくる

 

その後、新たな環境づくりをしていくんだよね。

 

育った環境を引きずるのではなくそこから学んだ負の部分を修正していくことなんだよね

 

常に良い環境づくりをしていくことが、次世代の課題としていくことなんだよね。

 

いくら良い環境づくりをしていても、崩れるのははやい、それは親を見ればわかる。

 

せめて、生きてる間は、崩さないようにしていきたいと思う今日この頃である。

 

子どもや孫が、幸せそうに生きている姿を見ているだけで幸せである。

 

いつまでも続くことを願っている。

 

いつまでも育った環境にしがみついていては、いけないよということを私は伝えたい。

 

それを修正していく役目が次世代にあることを知ってほしい。

 

それがしあわせへの道となること、そして親を許し、感謝できる道であること。

 

あんなに言いたいことが山ほどあったのに、そんなことはどうでもよくなっている。

 

人は幸せになるために生まれてきたんだよという言葉を実感している。

 

与えられた環境を修正し、より良いものにしていくことだけを考えていくこと

 

ただそれだけでよかったのである。

 

与えられた環境を変えようとしていたことは間違いだった。

 

そこに目を向けている間は地獄そのものだった。

 

そんな時代を私も通ってきた。

 

それは違うよって今は言える。

 

相談の中で、いかに、育った環境を引きずり捨てられずに生きている人が多いことか。

 

30代、40代、50代になっても心を病み苦しみもがいている。

 

どんづまりの人生から抜けだしてほしいとねがいながら

 

どのような言葉がけをしたらいいのだろうかいつも悩む。

 

そんな時、思い出されるのが、あの時の看護師である。

 

何も言わず、流した涙を受け止めてくれた

 

生きる力を与えてくれた

 

そんな人に私はなりたいと思うのである。

 

 

ではこの辺で