抜毛というものを抱えることによって心の問題にかかわっていくようになった

 

ボランティアとして、また専門家としてもかかわるようになっていく

 

いろんな人の苦しみを知り自分の苦しみが何と小さき苦しみかと思うことも多々ある

 

生きる気力をうばわれてしまうくらい苦しいことはないといつも思う

 

お金や物や学歴があれば良いというものではないということ

 

五体満足であれば良いということでもない

 

目には見えない心が健康でなければ幸せ感は得られない

 

それくらい心を大切に育てていかないといけないということを学ぶ

 

本来、生きる力となるこころを育てなければならない家庭づくりがおざなりになっている

 

一番苦しんでいるのはそうした環境で育った子どもたちが大人になり心を病んでいる

 

病みながらも必死で生きている姿は痛々しく心が痛む

 

家庭は、学校教育ではなく、心の教育をしていかなければならばないことを痛切に感じる

 

両親は、頭ではなく心で子育てをしていかないとつくづく思う

 

それが高学歴になり、頭で育てようとしている親が何と多いことか

 

頭で育てられた子供が、社会に出て挫折し心を病んでいる人も多い

 

挫折しなくても、心は冷たく、無表情の人が多く、人間性すら感じられない人もいる

 

幸せそうには見えない

 

どうしてそうなってしまったのだろうか

 

頭と心のバランスが崩れた時に、問題が出てくるのだろうと思う

 

そのバランスを崩した子を親が年老いても看ていかなくてはならないのが8050問題

 

それを反面教師にして今の親は考えていかないと将来の自分の姿である

 

誰が悪いと言っているのではなく、崩れた家族関係の修復を痛切に感じる

 

最悪は虐待し死に至らしめる、親の名を借りた鬼

 

いじめで友を死に至らしめる、心ない小鬼たち

 

もはや人間ではない

 

親になる心の教育の大切さを政府も考えるようになっている

 

それに期待する

 

我々ができることは、かろうじて生きている彼らを心で支えることしかできない

 

自分よりもっともっと重い問題を抱えている彼らにかける言葉すらでてこない

 

何も言わず傍に寄り添い耳を傾けることしかできない

 

それでもいないよりましだという思いが自分をつき動かしている

 

自分自身も、いろんな人に支えられて今日に至っている

 

一人で問題をかかえてがんばろうとしないことである

 

支えられてきたものは、返せるときに返していけばいいのである

 

自分自身で乗り越えていくしかない危うい時代である

 

身体が動ける間は見守っていきたいと思う今日この頃である

 

 

ではこの辺で