愛情とは、人が幸せになれるよう応援したり支えたりすることだと思う。

 

それはパートナーとの関係だけでなく、友達関係でも、親兄弟でも職場でも同じ。

 

「パートナーからの連絡がないとき、浮気を心配するのは恋、身の安全を心配するのが愛」と聞いたことがあるけど、正にその通り。

 

パートナーを束縛したり、浮気を疑ったりするのは愛情というより「捨てられたら自分の価値が否定されたと感じる」という不安や保身の感情から来ていると思う。

 

私は、パートナーから「他に好きな人ができたけど、あなたのことも好き」と言われて、怒りや嫉妬の感情が出てこなかった。

 

「怒りや嫉妬の感情が出てこないのは、パートナーのことを愛していないからだよ。あなたが言っていることは単なる綺麗事だよ」と色んな人に言われ、そうかなとも思ったけど、違うと思う。

 

パートナーの幸せを願ってる自分の気持ちはウソではないと思う。

 

パートナーが別の人と良い関係になって幸せになっているのを見て、自分も幸せになるという感情を「コンバージョン」と言って、ポリアモリ―特有の感覚らしい。

 

ただ、黙ってコソコソ浮気されるのは傷つく。

 

それは、パートナーが他の人に愛情を注ぐ(パートナーが他の人の幸せを願っている)ことに傷つくのではなく、自分のことを信頼されていないと感じるから傷つく。

 

他の人に気持ちが動くことを理性で無理やり抑える必要はなくて、その気持ちの動きも含めて全部受け止めたいと思って心を開いているのに、本音の気持ちを隠されたことに傷つく

 

これは理屈ではなく感覚の問題

 

多くの人は「そんなことは隠すのが思いやりで、墓場まで持っていくべき」と思うはず

 

共感できない人に理解してもらおうなんて全く思わないけど、共感できる人もいるはずだから、共感できる人と繋がりたい

 

 

私はいま30代ですが、このまま1人で老後を迎えて寂しくならないか心配です。

 

今は問題ないですが、40代、50代と歳を重ねるに連れて不安になるのではないかと思います。

 

結婚しても子なし夫婦の場合、パートナーに先立たれたら天涯孤独になります。

 

もちろん子供がいても引きこもりになって苦労したり、絶縁される可能性はあります。

 

そもそも「老後に一人になるのが不安だから、将来への投資として結婚や子育てに耐えよう」という発想で家庭を作っても幸せになれる気がしません。

 

耐えに耐えた結果、熟年離婚されて子供に絶縁されたら「今まで耐えてきた人生は何だったんだ」となりかねません。

 

そう考えると、「老後は一人」という前提で孤独を楽しめる力をつけて、友達も作りつつ、「一緒に人生を歩みたい」と思える人がいたら結婚するくらいの考えの方が良いのかなと思います。

 

その結果、子どもを作れる時期を過ぎてしまったら、ご縁がなかったと諦めるしかないです。

 

 

ロシアのウクライナ侵攻を見ていて

 

「なんで誰もプーチンに逆らえないんだろう?」

「選挙も不正があるみたいだし、どうやってプーチンがトップに立ってるんだろう?」

「色んな人に反感を買ってそうだけど、結託してクーデターを起こそうとは思わないのだろうか?」

 

と不思議に思っていました。

 

北朝鮮の金正恩も同じです。

 

今年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を見ていて、その謎が解けました!

 

源頼朝は、御家人の反乱を抑えることに協力してくれた有力御家人の上総介をバッサリ殺害したり、自分の命令に従っで手柄を挙げた御家人の藤内光澄を殺害したりしました。

 

謀反を察知するとすぐに言いがかりをつけて殺害してしまうので、恐ろしすぎて誰も頼朝に反抗できなくなります。

 

誰かこういう人がいた気がするよなぁと思っていたら、そう!正にプーチンです。

 

豊臣秀吉も親戚を殺害したりしていましたが、ああいう国で権力を握る人は似たようなものなのかもしれません。

 

現代の日本で殺害はないと思いますが、政治家や企業の勢力争いは似たものがあるかも知れません。

 

森友学園か加計学園の問題でも、自殺した官僚の方がいましたよね・・・

 

ああいうのを見ていると、一般庶民として平和に生きていくのが一番幸せだなぁと思います。