X(旧Twitter)では、男性と女性のどちらが大変か?という議論でよく盛り上がっている。

 

私自身は、10-20代前半の頃は「日本社会は男性優位で、女性は冷遇されている」と思っていた。

 

20代後半になると、逆に「男性は多くの責任を負わされていて、女性から搾取されている」と思うようになった。

 

10代の頃は上野千鶴子さんが好きな母の影響で、自分自身の男性性を否定していたので、自分自身のことを女性の立場を理解できる優しい男性だと自認していた。

 

母の考え方に同調することで母の期待に応えようとする、いわゆるマザコンだったと思う。

 

20代後半になると、抑圧が取れたことで母への怒りが爆発し、反動で一気に女性嫌悪に傾いた。

 

「男性はこれだけ重い責任を負わされて我慢しているのに、まだ女性は文句があるのか(怒)」という感じだった。

 

しかし30代になり、好きなように生きるようになってから、「日本社会は男尊女卑か女尊男卑か」という議論自体に興味がなくなった。

 

男性であれ女性であれ、こういう議論に惹きつけられる人達は不足感に焦点を当てていて、怒りのエネルギーで満ち溢れている。

 

不遇な環境を嘆くと更に不遇な現実が引き寄せられるから、こういう話題には近づかないのが一番だ。

 

男性でも女性でも、幸せな人は「不公平だ」などと怒らず、今ある豊かさに焦点をあてて、もっと楽しいことを考えている。

 

生まれてきた性を思いっきり楽しむのも良し、性転換するのも良し、LGBTとして生きるのも良し、自分自身が幸せなら何でもアリだ。

 

「男性は○○」「女性は○○」と言うが、実際には男性と女性の違いよりも、無力感に支配されて何でも社会や他人のせいにする人と、自分の潜在意識が世界を創造すると信じている人との違いの方が遥かに大きい。

 

潜在意識や引き寄せの法則の本を読むと「ニュースを見ると波動が下がるからニュースは見ない方が良い」と書かれている。

 

昔は「そうは言っても、社会の理不尽さに関心を持たないと、社会が良くならないんじゃないか?」と思っていたけど、そんなことはないと思う。

 

怒りや罪悪感、正義感から社会を変えようとする人はいなくなるけど、愛情や感謝の気持ちから社会を変えようとする人は逆に増えて、その方が社会全体が豊かになるはずだ。