インドのガンジーが、イギリスからの独立を目指して非暴力不服従運動を展開したことは学校の授業で習う。


私は20代の頃にガンジーの著作を読んだが、何が言いたいのか全く理解できなかった。

 

しかし30代になり、引き寄せの法則を知ってからガンジーの本を読み直したら、スルスルと理解できた。


非暴力不服従の本質は宇宙の法則だと感じた。


臆病や怒りの波動では願望実現をすることはできず、愛や感謝の波動を出せば自然と願望は達成される。

 

宇宙の法則では同じ波動のものが引き寄せるから、愛の波動で非暴力不服従運動を展開すれば、愛のある現実を引き寄せるのだ。

 

「私の非暴力」というガンジーの本の冒頭には

 

非暴力は暴力に勝るが、暴力は臆病に勝る

 

と書かれている。

 

非暴力を勧めておきながら、臆病になるくらいなら暴力を振るった方がマシだと言っている。

 

これは正にエイブラハムの感情の22段階に対応している。

 

・臆病とは、もっとも重い波動である罪悪感や自己無力感の波動

 

・暴力とは、怒りの波動

 

・非暴力とは、最も軽い愛や感謝の波動

 

臆病よりも暴力の方が良いのは、暴力の方がまだ自分の魂ルートに従っているからだ。

 

臆病な人は完全にエゴに支配されていて自分を見失っている。

 

怒りを感じる人はまだ自分の魂に忠実だが、その伝え方が分からず、暴力によって他人をコントロールしようとする。

 

非暴力の波動を放つ人は、自分の魂に従って行動するだけで愛や感謝の波動を周りに与えることができる。


すると、他人をコントロールしなくても望み通りの現実を引き寄せることができるのだ。

 

「私の非暴力」は、想像以上に過激な内容で、とても魅入られてしまった。

 

この本は、当時の世界情勢についてガンジーが色々とコメントしている本だ。

 

今で言うと、ひろゆきのYouTubeチャンネルのような位置づけだろう。

 

ガンジーは、当時の日本についてもコメントしている。

 

当時(昭和初期)の日本は、中国との戦争の真っ只中で、国際連盟を脱退し、軍部の暴走が止まらなかった時代だ。

 

徴兵に従わなければ捕まり、非国民として政治的にも社会的にも終わってしまう時代だ。

 

戦時中の日本でどのように非暴力不服従運動を展開するのか?について、日本人の僧侶がガンジーに質問している。

 

「私が日本人なら、1人で戦争に反対して銃で撃たれて死ぬでしょうね」

 

と回答していた。


インド人の世界観では魂の輪廻転生が当然の前提とされているから、ハイヤーセルフの意図に従った死は、魂の成長プロセスの一部に過ぎないと感じるのかも知れない。

 

いくら「一億総玉砕」を唱えていた日本軍と言えども、本当に日本国民全員を銃で殺すわけにはいかない。

 

だから、もし全ての日本人が臆病を捨てて自分の魂に従って非暴力不服従を実行すれば、いくら日本軍でもどうしようもないということだ。

 

ガンジーは実際、インドとパキスタンの分離に反対するという自分の主張を曲げなかったことで、ヒンドゥー教徒の過激派から銃で撃たれて亡くなっているので、言行一致だ。

 

ガンジーは中国に対しても非常に厳しいことを言っていた。

 

ある中国人が、「中国の街や建物が日本軍に破壊されるのは耐えられるが、何千年もの歴史がある文化遺産や書物が破壊されるのは耐えられない」とガンジーに訴えた。

 

するとガンジーは、「中国文化は古びた建物や書物の中にあるのではなく、今を生きている中国人の心の中にある。中国文化が過去の遺物の中にあると考えているなら、それは中国人の理解する中国文化が表層的であることを示している。たとえどんなに日本軍が中国の物質を破壊しても、中国人が非暴力不服従を貫くなら、日本軍が暴力によって中国の文化を破壊することは絶対にできない」と回答した。


非暴力は暴力に勝るからだ。

 

中国人の臆病な潜在意識が、暴力的な日本軍を引き寄せて中国を破壊しているのだという。

 

つまり中国を破壊していたのは日本軍ではなく、中国人自身だというのだ。

 

まさに「潜在意識が現実を創造する」だ。

 

ガンジーは他にもナチスのユダヤ人迫害やパレスチナ問題などにも言及しているが、どれも驚くほど過激で、しかし「自分の心の在り方が現実を創造する」という観点で一貫していた。

 

インドでは、ガンジーの教えに従って、イギリス人から暴行を受けても非暴力不服従を貫いた人達が大勢いた。

 

こんな過激な思想の活動家が大きな共感を生み、非暴力不服従運動が広がったというのは、インドは本当に奥深い国だと思う。

 

詳しくは分からないが、ヒンドゥー教の教えの中に非暴力不服従運動のルーツがあるようだ。

 

今の日本で流行っているスピリチュアル(引き寄せの法則)は、19世紀後半にアメリカで流行ったキリスト教の異端派であるニューソート運動がルーツになっているそうだ。

 

19世紀後半はダーウィンの進化論が発表され、聖書の記述の正確性が疑われた時代で、欧米で東洋思想が注目され始めた時代であった。

 

だから、ニューソート運動もヒンドゥー教の影響を受けているらしい。

 

インドのウパニシャッド哲学ではブラフマン(宇宙の根源)とアートマン(自分)が一致することを目指すらしいが、これは「ソースとハイヤーセルフの一致」というスピリチュアルの考え方に通じるものがある。

 

そう考えると、やっぱりスピリチュアルのルーツはインドにある気がする。


戦争中に爆弾から逃げて回っている状況で「現実を無視して別の領域に浸る」ことができる自信は私にはないけど、今の平和な日本で魂に従って生きる勇気を持つくらいならできるはずだ。

 

会社の同調圧力に逆らったところで銃殺されるわけではないし、たとえ仕事や家族を失っても生活保護がある。

 

ガンジーの本は「潜在意識が現実を創造する」の具体例を示した最も過激な教科書ではないだろうか。